動物CHU!〜秘密で面倒みませんか?〜

 鷹宰学園、放課後の図書室。
 夕陽が室内を照らす中、須藤澪はある本を探していた。
 学園1の成績を誇る彼女が探す本、それは意外にも動物の写真集だった。
 氷の美女と呼ばれる澪が、そんな物を探しているとは誰も思うまい。
 新着図書の棚に行くと『最近流行のリラクゼーションアニマル』と書かれた本があった。
 リラクゼーションとは息抜きとか癒しという意味だ。
 まさに澪にとって、その本は癒しを与えてくれる。
 写真集に手を伸ばした瞬間、別の誰かの手とぶつかった。
「キャッ!」
 その手の持ち主は飛び上がって驚き、澪から離れるように後ずさる。
 澪が相手の顔を上げ、手の持ち主を確認する。
 たれ気味の大きな瞳に、きめ細かい白い肌。
 澪と同じくらい長く伸ばした髪は艶々と輝き、首の後ろで2つの三つ編みに分かれている。
 彼女は顔を真っ赤に染め、大人しそうな外見とは裏腹に大きな声で叫ぶ。
「ご、ごめんなさい!」
 別に彼女は、何も謝る様な事はしていないのだが。
 澪がその行動に対してリアクションを取る前に、少女は走って図書室の外へ逃げていってしまった。
「……何なの? 今の」
 と、彼女と入れ替わるように1人の男子生徒が入ってくる。
「あれ? 澪ちゃん」
 彼の名は橘慎吾。化学の自由研究で、澪とペアを組んでいる生徒だ。
「あのさ、今女の子が走って出てきたけど…何かあったの?」
「知らないわ。私が本を取ろうとしたら、彼女と手がぶつかって…」
「…そんだけ? 若菜ちゃんらしいな」
 澪はわずかに眉を寄せる。
「…若菜ちゃん?」



動物CHU!

〜秘密で面倒みませんか?〜




 その日は新聞作りが忙しいと言われ、1人で帰る事になった。
 そこで図書室に寄って子犬の写真集を借りようと思っていたのだが…。
 若菜は寒空の下、独りため息を付いた。
 写真集を取ろうとした手が、よりにもよって学園1の天才美少女である須藤澪とぶつかってしまい、
 ビックリして図書室から飛び出したら男子生徒とぶつかってしまった。
 その男子生徒の名は、橘慎吾。
 親友である佐伯美月の幼馴染みであり、若菜がほのかに想いを寄せる人。
 あの時は心臓が止まってしまうんじゃないかというほどビックリした。
「私も、美月ちゃんみたいになれたらなぁ…」
 内気で臆病で内向的で気弱で感情表現が苦手な若菜と違い、
 美月は活発で明るくて元気で自分の感情を素直に表現できる素敵な女の子だ。
 と若菜は思ってるのだが、慎吾が聞いたら何と思うだろうか。
 女子寮に到着した若菜は、寮に入る前に敷地内に植えられている花壇へ向かった。
 朝は時間が無くて花を見れなかったが、今日も寒さに負けず元気に割いている。
 学校でも園芸部に所属したり温室の世話をしたりと、植物が大好きな可憐な少女なのだ。
 白い花は夕陽を浴びてピンクに染まり、赤い花はさらに鮮やかな赤を浮かべる。
 そんな花壇を見つめながら、若菜は優しく微笑んでいる。
 若菜は自分に魅力が無いと思っているが、この笑顔を見れば心を奪われる男子も少なくないだろう。
 例えば『今まで女の子と縁の無い体育会系の世界で生きてきた単純な男』とか。
 そんな若菜の微笑みに惹かれたのか、もしくは別の理由からか。
 花壇の脇に生える木の陰から、彼女を見つめる瞳があった。


「俺、新聞部なんだけどさ。そこに美月って女の幼馴染みがいるんだけど…あ、誤解すんなよ!
 美月とはただの腐れ縁で…高校だって偶然一緒になっただけなんだ」
「そう」
 慎吾の話に興味がなさそうに、しかし一語一句聞き漏らすまいと神経を集中させる澪。
 化学の本を開いてはいるものの、書いてある事は一切頭に入ってこない。
「で、美月が若菜ちゃんと仲が良くてさ、人見知りが激しくて男子にもまったく免疫がなくて。
 それで俺と仲良くさせて、少しでもそれを改善させようと…ま、美月が勝手にやった事なんだけど」
「そう」
 本の文字を目で追ってはいるが、澪の頭の中は『美月』と『若菜ちゃん』でいっぱいだった。
 女の子の事を楽しそうに話す慎吾を見て、澪は少し不機嫌になっていた。
 もっともそんな感情は全く表に出さない…というか、そんな感情を自分で認識していなかった。
「…澪ちゃん、どうかしたの?」
「え?」
 澪は本から目を離し、きょとんとした顔で慎吾の方を振り向いた。
 なぜそんな事を言うのか解らないとでもいう様に。
「いや、俺の気のせいかもしれないけど。何となく不機嫌そうに見えたから…」
「…本を読んでいる横で訊いてもいない事を話されれば、誰でも不機嫌になるんじゃない?」
 氷の美女の名にふさわしい、冷たい口調で言い放つ。
 慎吾は苦笑を浮かべながら、ゴメンと謝った。
「無駄話なんかしてないで、あなたも早く本を開きなさい。
 実験の事で調べたい事があるから、図書室に来たのでしょう?」
「…そうでした」
 慎吾は机の上に放り出されていた本を開き、パラパラとページをめくる。
「…あの、解らない事があったら言ってちょうだい」
「教えてくれるの? 澪ちゃん優しいなぁ」
 慎吾の言葉に、澪は顔を真っ赤にして――。
「し、仕方ないでしょうっ!? 私達はペアを組んでいるのだから、
 あなたが実験内容について来られないと私が迷惑するのよ」
「それでも、ありがとな」
 ニヤニヤと嬉しそうな笑みを浮かべる慎吾。
 澪は慌てて何か言い返そうと、口を開く。
「君がこんな所にいるとは、明日は雨かな?」
 突如、澪の背後から男子の声がした。
 振り返ると、見覚えのある男子生徒が立っている。
 彼の名は伊集院光。伊集院グループの御曹司であり、慎吾の親友だ。
「お前こそ、なんでこんな所にいるんだよ」
「本を返しに来たのだが、聞き慣れた声がしたものでね。
 しかし須藤女史も一緒とは、神崎君が知ったらどうするだろうな」
「ど、どうしてそこにNANAが出て来るんだよ!?」
 動揺した慎吾はここが図書室だという事を忘れ、大声で言い返す。
「NANA?」
 澪はいぶかしげに呟いた。
「神崎七瀬、橘のルームメイトだ」
 光の言った名前に、澪は心当たりがあった。
 難関で知られる鷹宰学園の編入試験を、ほぼ満点で突破してきた編入生。
 女の子みたいな可愛い顔をした男子だと聞いていたが、澪にとってはどうでもいい存在だった。
 しかし慎吾の反応を見ると、単なるルームメイトではない様な気がした。


 慎吾曰く、
「かなりの世間知らずでさ、心配でほっとけないんだよ」
 との事だ。
 まあ、相手はルームメイトなのだから心配しても当然の事である。
 自分は何を考えているんだろうと思い、澪はため息をついた。
 気分を変えようと、澪は空を見上げる。
 もうすぐ夕陽が沈む。
 まだ門限までには時間があるが、冷えてきたので早く帰ろうと歩調を速めた。
 女子寮に到着した澪は、そのまま玄関に向かおうとする。
 その時、誰かの叫び声が聞こえた気がした。
 しかしその声はすぐ風の音にかき消されてしまった。
 気のせいかとも思ったが、澪は叫び声のした方――寮の裏手へと回る。
「――ダメ、やめて!」
 今度は間違いなく聞こえた、誰かが悲鳴をあげている。
 誰か助けを呼びに戻ろうかと思ったが、もしかしたら一刻を争う事態かもしれない。
(橘君がいれば――)
 と思い、澪は首を振った。
 慎吾を頼ってしまった自分を恥ずかしく思い、半ば意地になり1人で助けに向かう。
 断続的に聞こえる、女の子の悲鳴。
 怯えを含んだその声は、今にも消えそうなほど小さい。
 風と詰めたい空気が入らないよう皆は窓を閉めているだろうから、
 この声を聞いているのは澪だけという事になる。
 恐る恐る、寮の裏手へと回る。悲鳴は次の角を曲がってすぐの所から聞こえる。
「――お願いだから、もう――キャアッ!」
「待ちなさいっ!」
 澪が飛び出すと、1人の少女が背を向けてうずくまっていた。
 他に、人影は無い。
 少女は目を丸くして澪を見つめている。
「ワン!」
 少女の胸に、1匹の小犬が抱きかかえられていた。
 白く短い体毛で包まれた小犬は少女の頬をペロリと舐め、少女は悲鳴を上げる。
「キャアッ!」
 これが、悲鳴の真相だった。
 澪の全身から力が抜け、大きなため息が吐き出される。
「あ、あの」
 少女に話しかけられ、少女の顔を見て、少女が誰なのか思い出した。
「…樋口さん、だったかしら?」
 すると彼女、若菜は顔を真っ赤にして叫んだ。
「は、はい!」
 若菜の過剰な反応に驚きつつも、澪は言葉を続けた。
「こんな所で、何をしているの? それにその小犬は…」
 その小犬は、とても愛らしい顔立ちをしていた。
(…撫でてみたい)
 と、心の中で密かに思う。
 その小さな願望を打ち消すかの様に、若菜が恐る恐る口を開く。
「あの…ワンちゃん、怪我をしてて…」
「怪我?」
 よく見ると、小犬の右側の後ろ足の毛が赤く染まっている。
「ちょっと見せてくれる?」
 澪は小犬の足を掴み、傷口の様子を調べる。
「あの…ワンちゃん、大丈夫ですか?」
 若菜の不安そうな言葉に対し、澪は安心させるように行った。
「大丈夫よ。傷自体たいした事はないし、出血もほとんど止まっているわ」
 そう言って、澪はポケットから取り出したハンカチを小犬の足に巻き付けた。
 ハンカチが少しだけ赤く染まる。
「傷が化膿するかもしれないし、念のため2・3日様子を見た方がいいかもしれないわね」
 とは言ったものの、寮で動物を飼う事は禁止されていた。
 この寒空の下に置いておくの訳にもいかないし、
 かといって保健所に連れて行けば処分されてしまう可能性も有る。
「どうしよう。美月ちゃん、新聞作りで忙しいから、部屋に連れて行けないし…」
 どうやら若菜は、規則を無視して部屋に連れ込む気満々だったようだ。
 そして、慎吾の幼馴染みである美月と同室らしい。
 澪はしばらく考え、ポツリと口にした。
「私、1人部屋なんだけど…」
 別に小犬をかくまおうとか、そういうつもりでは無かった。
 つい、言ってしまっただけだった。
 しかし若菜は、澪が小犬の面倒を見ると解釈したらしい。
「あの…じゃあ、よろしくお願いします」
「え?」
 小犬を抱いたまま、ペコリと頭を下げる若菜。
 そして小犬を澪へと差し出す。


「具合でも悪いの?」
 挨拶の次のセリフがそれだった。
「…ちょっと、寝不足なの」
 結局あの後澪は小犬を自室まで連れ帰り、小犬の世話をしていた。
 夕食をこっそり持ち帰って小犬に与えたり、傷口に薬を塗って包帯をまいたり。
 それだけなら寝不足になどならないのだが、問題はその後だ。
 小犬があまりにも可愛いので、身体を撫でたり抱っこしてあげたり頬擦りしたり、
 小犬の寝顔を夜中の2時まで鑑賞したり。
 そんな理由で寝不足となったのだ。
「勉強でもしてたの?」
「…ええ」
 慎吾の問いに正直に答えるのは、非常に恥ずかしかった。
 澪の嘘を簡単に信じ、慎吾は実験の準備を進める。
 慎吾にばれないよう、澪はため息をついた。


 ゆっくりと息を吸い、吐く。
 例えドアの向こうに誰がいてもいいよう、若菜はしっかり心の準備をした。
 もしそこにいたのが美月だったら、何の問題もないだろう。
 恐る恐るドアを開き、中に入る。
「し、失礼します…」
 新聞部部室の、入ってすぐ正面にある机。
 その上に広げられている資料を読む男子生徒が、若菜の存在に気付く。
「若菜ちゃん?」
 言うまでも無く、その男子生徒は慎吾だった。
 言うまでも無く、若菜のリアクションは決まっていた。
「キャァッ!」
(…相変わらずだなぁ)
 慎吾は苦笑しながら、自分の隣の椅子を引いた。
「美月は今ちょっと出てるんだ。ここ空いてるから、座りなよ」
「ええっ!? でも、そんな…!」
「若菜ちゃんを立ったまま待たせてたなんて知られたら、美月に何されるか解ったもんじゃねぇしな」
 しばし躊躇したものの、自分のせいで慎吾が美月に責められるのも困るので、
 若菜は慎吾の隣に座った。その顔は、真っ赤に染まっている。
「見る?」
 若菜の前に、美月達が作っている新聞の下書きが差し出される。
 紙面の隅から隅まで、ディアラバーズの記事がぎっしり書き込まれている。
「苦労したんだぜ。つっても、紙面作りはほとんど美月がやったんだけど」
「美月ちゃん、すごい…」
 若菜が嬉しそうに紙面を読む姿を見て、慎吾もつい口元をゆるめてしまった。
 しかし、若菜の表情が突然曇りだす。
「若菜ちゃん?」
「…美月ちゃん、本当にすごいです。いつも元気いっぱいで、新聞作りもすごく一生懸命で。
 私も美月ちゃんみたいになれたらいいのに…」
 慎吾は力いっぱい思った。
(美月みたいにはならないでくれっ!!)
「わ、若菜ちゃんには若菜ちゃんの良いところがあるよ」
「でも…」
 若菜は自分の性格があまり好きではなかった。
 だから、自分みたいな女の子じゃ慎吾に相手にされないのではとも思っている。
「あの、あなたも、美月ちゃんや須藤さんみたいな…」
「須藤…って、澪ちゃんの事?」
「は、はいっ!」
「友達かなんか?」
「ち、違いますっ! わ、私なんかとても須藤さんの友達だなんてっ…!
 ただほんの少しだけお話をしただけで…その…」
「そっか。でも、若菜ちゃんだったら澪ちゃんとすっごく仲良くなれそうな気がするなぁ」
「ええっ!?」
 驚きのあまり、若菜は硬直してしまった。
「いや、2人共似てるから気が合うんじゃないかなって」
「そんな…私、似てません。須藤さんと違って、私…」
「そうかなぁ? 2人共温室育ちなせいか、感情表現が苦手だし。
 澪ちゃん、ああ見えて実は動物好きなんだよな〜。若菜ちゃんと一緒だ。
 それに、とっても可愛いしな」
「か、可愛いだなんて…そんな…」
 若菜はもう何が何だか解らなくなっていた。
 密かに想いを寄せる人が、自分の事を可愛いと言ってくれている。
 顔を真っ赤にした若菜に、慎吾はさらに追い討ちをかける。
「ホントだって。澪ちゃんはもちろん、若菜ちゃんだってすっげぇ可愛いよ。
 どっかの誰かさんとは大違いだな」
「それって、誰の事かしら?」
「そりゃもちろん」
 言いかけて、慎吾の笑顔が硬直する。
「…誰だろなぁ?」
 慎吾は恐る恐る背後を振り返り、そこに立つ人物を視認する。
 言うまでも無く、それは彼の幼馴染みだったりする。
「あ、美月ちゃん」
 美月は若菜に対し優しく微笑み返した後、慎吾に怪しく微笑みかける。
「ねえ。誰かさんって、誰の事なのかしら?」
「アッ! 悪ぃ美月、急用思い出したから寮に帰るわ。新聞の感想はまた今度な」
 ニッコリ笑って席を立ち、そのまま部室から去ろうとする慎吾。
 そんな幼馴染みの襟首を掴む美月。
「待ちなさいっ。そんな言い訳は通用しないんだからねっ!」
「ホ、ホントだって! 今日はNANAと…」
 そこで慎吾の言葉は止まる。
 その先の言い訳を考えていないのではなく、その先の言い訳が真実だからだ。
 ただその真実を話せない訳があった。
 別に急いで帰る必要は無いが、確かに交わしたNANAとの約束。
 ありのまま話せば、女子寮にまであの噂が広まってしまう。
 それだけは避けたいと、慎吾は心の底から思った。
「と、とにかく俺帰るからっ!」
 美月の腕を振り解き、慎吾は脱兎のごとく部室から去った。
「逃がしたか…」
 美月は悔しそうに呟いた後、若菜に向かって頭を下げた。
「若菜ごめん、せっかくいいムードだったのにあたしが邪魔しちゃって…」
「そんな…美月ちゃんが悪いんじゃないよ」
 若菜は気付いていない。
 部室に戻ってきた美月が若菜に気付き、慎吾といい感じだったので中に入らず覗いていた事を。
「それにしても、NANAって神崎七瀬の事よね…。まさかとは思うけど…」
「どうかしたの?」
「へ? あ、その、何でもないから…」
 美月はある信じがたい情報を入手していた。
 それは、橘慎吾と神崎七瀬が出来ているという話だ。
 当然美月は信じていないし、そんな噂が女子寮に広がらないよう注意もしている。
 だいたい情報の出所も、ライムという生徒が酔っ払って話していたという信憑性の薄いものだった。
 神崎七瀬に振られたライムがヤケ酒を飲み、冗談のつもりで言ったのだと美月は推理していた。
 しかしさっきの慎吾の態度を見ると、もしかしたらと思ってしまう…。
 まさか本当に、中学の卒業式にキスまでした事のある幼馴染みが…。
「美月ちゃん?」
「な、何でもないってば。若菜には関係ないのっ!」
 美月は思った。
(こんな事、若菜に言える訳ないじゃない…。慎吾がホ…アレかも、しれない…なんて)
 若菜は思った。
(やっぱり、美月ちゃん変…。新聞作り、上手くいってないのかな…?)
 思いはすれ違う。


 ドアをノックする音に気付き、澪は用心深く応える。
「どなた?」
 点呼はさっき回って来たし、誰かが訪ねてくる心当たりも無い。
 となると、小犬の事がばれたのか?
「…あ、あの。その…」
「樋口さん?」
「は、はい! その…」
 澪はドアを開け、外に若菜しかいない事を確認する。
「入って」
 若菜の腕を掴んで室内に引きずり込み、素早くドアに鍵をかけた。
「わんっ!」
 澪の肩が跳ね上がる。
 一方若菜は、自分の足元に走り寄ってきた小犬を抱き上げ、嬉しそうに笑っている。
「わんちゃん、元気だった?」
「わんっ!」
 澪は慌てて机に向かい、テレビのリモコンを手に取る。
 次の瞬間、テレビに映画のワンシーンが映し出される。
 澪は若菜がいぶかしげに見つめているのに気付く。
「その子の鳴き声を、テレビで誤魔化してるのよ」
「そ、そうだったんですか…。やっぱり須藤さんって、すごいです…」
 ちなみに昨晩かけていたのは動物の特番で、今かかっているのは普通のニュースだったりする。
 犬の鳴き声を誤魔化すための選択としては、あまり的確とは言えないかもしれない。
「ところで、今日はこの子に会いに?」
「あ、はい…その、ごめんなさい。迷惑ばかりかけて…」
「そんな…別にいいわよ」
 若菜はしばし躊躇して、
「…あの、この子、怪我が治ったら…その…」
 それは澪も考えていた。
 さすがにこのまま飼い続ける訳にもいかないし、いつか誰かにバレる可能性が高い。
 こっそり犬を飼っているなんて重大な校則違反を犯しているのは、
 自分くらいしかいないのではと少々自己嫌悪をしていたりした。
 それ以上の校則違反、というか犯罪(公文書偽証とか)まで犯している生徒に比べれば対した問題ではないのだが。
「1番良いのは、飼い主を探す事なんだけど…」
「ごめんなさいっ!」
「…何が?」
「私…そのっ、新聞…頼もうとして、でも…美月ちゃん、忙しいみたいで…記事もいっぱいで…。
 結局私、何も言い出せなくて…」
「…つまり。この子の飼い主を探す記事を校内新聞に載せてもらおうと新聞部の美月さんに頼もうとして、
 けれど彼女は新聞作りが忙しい上、紙面も犬の事を載せるような空きが無いほど埋め尽くされていたから、
 小犬の事を話さなかった…という事かしら?」
「は、はい…」
 学年トップは伊達ではない。その持てる頭脳を駆使して若菜の言葉を理解し、翻訳した。
「それは別にあなたのせいじゃないでしょう?」
「でも…須藤さんばかりに迷惑をかけて、私は何も出来なくて…」
 澪は改めて、若菜が優しい子だと思った。
(橘君も、樋口さんみたいに女の子らしい人の方が…)
 と考え、つい顔が赤くなってしまう。
 若菜はうつむいていた為、そんな澪には気付かなかったが。
「樋口さん。私は好きで面倒を見ているのだから、あなたが気に病む事はないのよ」
「でも…」
「それにこの子の事を知っているのは私達だけなんだから、
 この子をどうするか決めるまで、あなたに協力してもらう事もあるんですから」
「は、はいっ!」
 若菜は改めて、澪が優しい人だと思った。
(橘君も、須藤さんみたいな素敵な人の方が…)
 さっき澪も同じ事を考えていたのだが、そんな事を若菜が知るよしも無い。
 ふと、慎吾の言葉が思い出される。
『若菜ちゃんだったら澪ちゃんとすっごく仲良くなれそうな気がするなぁ』
 若菜はつい顔が赤くなってしまう。
 澪は若菜を見ていた為、当然それに気付いた。
「どうかしたの?」
「い、いえっ! その、須藤さんと仲良くなれたら…って思って…!」
 つい、思っていた事を言ってしまう。
「…私、と?」
「いえっ! そのっ! わ、私は…そのっ!」
 小犬の鳴き声を隠せるテレビの音でも、若菜の大声は隠せなかった。
「ちょ、ちょっと。あまり大きな声を出さないでくれない。
 もし誰か来たら…この子も見つかるかもしれないでしょう?」
「あ…すみません…」
 しゅんとうなだれる若菜に、小犬が心配そうに擦り寄る。
「クゥ〜ン…」
 小犬の慰めも、若菜には通じなかった。
 沈黙の時間が流れる。
 若菜はうつむいて黙り込んだままだったし、澪もどう対応すればいいのか解らなかった。
 小犬もそんな空気を察してか、澪と若菜を交互に見つめるばかりで一言も鳴かなかった。
 しかし意外にも、その沈黙を破ったのは若菜だった。
「ごめんなさい。私…本当に馬鹿で。須藤さんと友達になれるような、そんな立派な子じゃないのに…」
「そ、そんな事はないわ」
「…え?」
 若菜が顔を上げる。
 その両目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「樋口さんは、立派だと思うわ。だってそうでしょう?
 この小犬のために何が出来るか、真剣に考えていたじゃない。
 …それに、私も…樋口さんと仲良くなれたら、って思っていたから…」
「そ、そうなんですか?」
 澪は恥ずかしそうに、けれど嬉しそうに微笑んだ。
 氷の美女の、本当の顔。
 この顔を見たのは、この学園においては慎吾だけだった。
 そこに若菜の名前も付け加えられた。
「…正直、驚いたわ。だって、私と友達になりたいなんて言う人…、彼だけだと思っていたから。でも、嬉しかった」
 若菜は思った。
(…彼って誰だろう?)
 しかしそんな疑問は、澪が嬉しかったと言ってくれた喜びで、すぐに忘れてしまった。
 澪は澪で、自分の発言に照れていたり…。
 再び、沈黙の時間が流れる。
 しかし今度は重苦しい空気ではなく、照れくさい空気が流れている。
 今回その沈黙を破ったのは…。
「わんっ!」
 嬉しそうな、小犬の鳴き声。
 いつしか互いに微笑み合っていた。


 いつもの通り美月は若菜を連れて食堂へ向かい、朝食を受け取って席へ移動する。
 なんとなく決まっている、窓辺の指定席。
 2人が仲良く朝食を食べ始めた時、すぐ隣を澪が通りかかった。
「あ、おはようございます…」
 美月は口にしていた味噌汁を吹き出しかけた。
 あの若菜が、なぜ須藤澪に声をかけたのか?
 氷の美女が取る反応など、当然見当が付いていた。
「おはよう、樋口さん」
 照れ笑いを浮かべながら、澪は挨拶を返した。
 味噌汁が変な所に入ったのか、美月はゴホゴホとむせ返る。
「み、美月ちゃんっ!?」
 美月は水を流し込み、呼吸を整える。
「…大丈夫?」
「だ、大丈夫です」
 全然大丈夫じゃなかった。精神的な意味で。
 ふと気が付くと、若菜が澪に席を勧めている。
 澪はそれを快諾し、若菜の隣に座った。
「あの。あなたが…美月さん?」
「は、はい。佐伯美月です…」
「そう」
 若菜と違い、美月に対しては氷の美女として接する澪。
 本人に自覚はないが、慎吾の幼馴染みである美月をちょっとライバル視していたりする。
 美月が呆気に取られていると、いつしか若菜と澪は仲良く、でも少し照れながらお喋りをしていた。
 周囲の生徒も興味を惹かれたのか、チラチラと様子を探ってくる。
(いったい、何がどうなってるのよ〜っ!?)
 仲良く食事をしながらお喋りする2人を見て、美月は何か奇妙な雰囲気を感じた。
 前にもこんな空気を感じたような気がする。
(あ、そうだ。慎吾にルームメイトの話題を振った時に…)
 慎吾のホモ疑惑を聞き、ちょと探りを入れた時に感じた空気。
 そう、何か隠し事をしているような…。
(ま、まさか)
 美月の脳裏に、ある予感が走る。
 慎吾は何かを隠していた。それがルームメイトに関わる事に間違いない。
 そしてライム・リーガンから流れた、慎吾のホモ疑惑。
 まさか、まさかこの2人も――。
「美月ちゃん?」
 若菜の呼びかけに対し、美月の肩が跳ね上がる。
「な、なぁに?」
「さっきからご飯食べてないけど…大丈夫?」
「だ、大丈夫よ。ちょっと考え事をしてただけだから」
「それって、校内新聞の事かしら?」
 突如、澪が話しかけてくる。
「え? あ、そうなの! 新聞の事で、ちょっと…」
「…そう」
 澪の脳裏に、美月と仲良く新聞作りをする慎吾の姿が思い浮かぶ。
 氷の美女にふさわしい冷たい眼差しで、美月はじっと睨まれていた。
 若菜は状況がよく理解出来ていないのか、2人を交互に見つめている。
(いったい何がどうなってんのよーっ!?)
 美月は心の中で力いっぱい叫んだ。


 こーして澪と若菜の賑やかにして、悩みと緊張の……………………
 でもってちょっと楽しい日々は、始まったのだった。






投稿小説2回目のSUMIです。
今回はある人のリクエストにより、澪ちゃんと若菜ちゃんをメインに書いてみました。
慣れないせいか執筆に時間がかかり、量も大きくなってしまったような…。
しかも話がちょっと中途半端な位置で終わった気もします。
もしかしたら続きを書くかもしれません。もしかしたら、です。
まあ、誰かが続きを読みたいと言ってくれば、間違いなく書くと思いますが。
この小説を読んで、少しでも楽しい時間を過ごしていただければ幸いです。
SUMI様