それはとても甘いもの




 メールフレンドの慎吾君を好きになってから、私はネットで恋愛に関するサイトを回るようになっていた。
 今日もノートパソコンに向かい、色々なサイトを回っている。
 そんな中、私はある単語を見つけた。
「バレン…タイン?」
 何だろう? 聞いた事のない言葉だけど、どうやら恋愛に関する事みたい。
 私が『バレンタイン』について調べようとした時、ふすまの向こうから足音が聞こえてきた。
 私の大好きな温子伯母さんが来たんだと、すぐに解った。
 時計を見ると、今は午後の3時。おやつを持ってきてくれたみたい。
 …そうだ! 温子伯母さんに『バレンタイン』の事を訊いてみよっと!





それはとても甘いもの




「何か今日は、機嫌がいいみたいだな」
 教室の席に着くと、太陽君達が話しかけてきた。
「まあ、神崎君は橘と一緒ならそれだけ嬉しそうだがな」
 伊集院君までそんな事言ってくるなんて。ボク、そんなに嬉しそうな顔してたかなぁ? でも、仕方ないよね。
 今日はなんて言ったって、バレンタインなんだもの!
 昨日、管理人さんに頼んで厨房を貸してもらって、チョコレートを作ってきたんだ。
 それは今、ボクの鞄の中に入っている。
 それをいつ慎吾君に渡そうかと考えるだけで、すっごく楽しいんだもの。
「しかし、確かに今日はいつもに増して機嫌がいいようだが……何かあったのか?」
「そんな事ないよ」
 慎吾君をビックリさせて上げたいから、バレンタインの事は黙っておかなきゃね。
 ちなみに慎吾君は、隣の席で呑気にあくびなんかしてる。
「俺は駄目だな。今日一日、嫌な気分で過ごしちまいそう…」
「え? どうして?」
 太陽君は、元気の無い声で答えた。
「だって今日、バレンタインだろ? 俺、一度もチョコ貰った事ないんだよな〜」
 ああっ!
 せっかくバレンタインの事黙っていたのに、なんで言っちゃうのさぁ!
「つーか、この学園の生徒にとっちゃ、んなもん関係無いだろ」
 慎吾君が、面倒臭そうに呟いた。
「それは違うぞ、橘。この学園が禁止しているんは男女交際であって、チョコのやり取りではない」
「そうか、光はファンクラブの女の子にもらえるんだったな」
「畜生、羨ましいぞ! 光、俺にも分けてくれ!」
 太陽君は泣き真似をしながら、伊集院君にすがり付いた。
 そして、
「慎吾はチョコを貰う当て、あるのか?」
 ああっ! また余計な事を!
 どうしよう。慎吾君、ボクからチョコをもらえるって思ってるのかな?
 思ってないなら思ってないで悲しいけれど、やっぱりビックリさせてあげたいし…。
 慎吾君は面倒臭そうに、口を開いた。
「チョコならもう、貰ったけどな」
「ええ〜っ!?」
 ボクは思わず立ち上がり、慎吾君に詰め寄った。
「ど、どういう事!? い、いつ! 誰にもらったのさっ!?」
「昨日NANAがどっか行ってる間に、宅配便が届いたんだよ」
 それって、ボクがチョコレートを作ってた時って事?
「ちなみに送って来たのは俺の姉貴。本命に送るための予行練習で作ったチョコで、美味かったかどうか電話で確認してきやがった」
「お姉さんからだったんだ…」
 ボクはホッと胸を撫で下ろした。
「ったく、俺を実験台に使いやがって。しかも一口で終わっちまうような小さいチョコ一個だぜ?」
「あ〜よかった。家族から貰ったチョコなんてノーカウントだよな、慎吾も仲間だ」
 太陽君の言葉に、私はうんうんと頷いた。
「別に家族以外から貰った事あるけどな」
「ええ〜っ!?」
「何ぃ〜っ!?」
「奇特な女性もいるものだな」
 ボク等は三者三様の反応をし、慎吾君は口をへの字に曲げる。
「つっても、ホワイトデー目当ての義理チョコを幼馴染みから貰うくらいだけどな」
「寂しい奴だな」
「うるへー」
 幼馴染み。そういえば慎吾君のメールで、美月っていう女の子の名前を見た事がある。
 …ライバル出現。
 美月ちゃんに負けないよう、最高のシチュエーションで慎吾君にチョコを渡してやるんだから!
 キーン、コーン、カーン、コーン…。
「おっと、授業が始まるぞ」
 伊集院君と太陽君は自分の席に戻り、ボクも自分の席に座った。




「ちょこれーと?」
「そう。バレンタインはね、女の子が好きな男の子に、チョコレートをプレゼントする日なの」
「へえー。温子伯母さんって、本当に物知りなんだね!」
 何故か私の言葉に、温子伯母さんは悲しそうな顔をする。どうしてだろう?
 バレンタインって、普通は誰でも知ってるような事だったのかな?
「…七海」
「なぁに?」
「ごめんなさい。本当なら、あなたも大好きな人にチョコレートをあげられるはずなのに…」
「そんな…温子伯母さんが悪い訳じゃないよ! それに、バレンタインなんてとっくに過ぎてるんだし…」
 ヤだ。温子伯母さん、瞳に涙を浮かばせてる。
 大好きな温子伯母さんが泣いていると、私まで悲しくなっちゃう…。
 ええと、何とかして話題を変えなくちゃ。
「あ、あの。温子伯母さん。その、ちょこれーとってどんなお菓子なの?」
 あ、しまった。話題を変えようと思ったのに、結局バレンタインに関係する話題を振っちゃったみたい。
 けれど温子伯母さんは呆気に取られた顔をして、
「七海は…チョコレートを食べた事が無かったかしら?」
「え? う、うん」
 私は目の前に置いてあるお饅頭を見て、言った。
 私は甘い物が大好きだから、温子伯母さんはよくお菓子を持ってきてくれる。
 けれどそれは、和菓子っていう種類の物が多いみたい。
 この前、7月の終わり頃(確か29日)にケーキを持ってきてくれた事があったけれど、チョコレートは食べた事がない。
「そう…。じゃあ、明日のおやつはチョコレートにしましょうか」
「ホント!?」
 私、すっごく嬉しかった。
 明日がとっても楽しみ! チョコレートって、どんな味がするんだろう!?




「NA〜NAぁ。うちのチョコ、受け取って〜」
 ヒアリングルームに入った途端、ライムちゃんがピンクの包装紙に包まれたハート型のチョコを渡してきた。
「ア、アハハ。ありがとう」
「NANAのために厨房借りて、自分でチョコレートを作ったんや。うちの愛情たっぷりつまっとるからな」
「そうか、NANAにはライムがいたか…」
 ボクの後ろで、太陽君がガックリ肩を落としている。
「そんな…太陽君にだって、きっとチョコレートをくれる人がいるよ」
「いないから落ち込んでるんだよ…」
 とその時、ガラガラと入り口のドアが開いて弥生先生が入ってくる。
「NANA、そのチョコ隠した方がいいんじゃねーか?」
「あ、それもそうだね」
 ボクは鞄を開け、中にライムちゃんのチョコを入れ…。
「ああ〜〜〜〜っ!?」
 突然ライムちゃんは大声を上げ、教室中の視線を一点に集める。
「な、な、NANAぁ? その包みは何やの!?」
「へ?」
 ボクは鞄の中を覗き込む。ライムちゃんの視線の先にあったのは、赤い包装紙に包まれたチョコレート。
 もちろん、ボクが慎吾君のために用意した物だ。
「どういう事ぉ! そりゃうち以外にもNANAにチョコレート渡したい人がおるのは解る。
 せやけど、なんでうちより早くNANAにチョコを渡しとる人がいんのや!?
 男子と女子は別棟やろ? うちより早くチョコを上げられるやなんておかしいわ!」
「そ、それは…」
「NANAぁ! お前、いつの間にチョコなんか貰ってたんだよ!?」
 太陽君まで。
「NANA、ちょっとそのチョコ貸して」
「ええ!? こ、これはダメだよ…」
「いいから貸して!」
 そんな…今のライムちゃんに渡したら、このチョコは無事じゃ済まない気がする。
「リーガンさん、何をしているの?」
「あ、弥生先生…」
「…それは、チョコレート?」
「う、うちは…」
「リーガンさん。今日の授業後、生徒指導室に来て下さい」
「…解りました」
「待ってください。ライムちゃんは何も悪い事していないのに、どうして…」
「神崎君、あなたも生徒指導室に来る事。いいわね?」
 そ、そんなぁ…。




「すっごーい! すごいすごい! すごく美味しいよ!」
 私がチョコレートを知った翌日、温子伯母さんは黒いお菓子を持ってきてくれた。
 手で摘んでみたら意外と硬くて、口の中に入れたらすっごく甘くって。
 私、甘い物だーい好き!
 カリカリ噛み砕いて食べるのも美味しいし、飴みたいに溶かして食べるのも美味しい!
 中には白いのやピンクのチョコもあって、ミルクや苺の味がするって知った時は感激しちゃった!
「良かったわね、七海」
「うん!」
 私はとっても嬉しくて、次から次へとチョコレートを口に運んだ。
 いつもなら『あまりお菓子ばかり食べていると、身体に悪いわよ』って温子伯母さんが言うんだけど、今日はニッコリ微笑むだけ。ーーー
 私は思う存分、チョコレートを食べる事が出来た。
 おやつは当分チョコレートのままでいいや!




「それじゃあ神崎君もリーガンさんも、ちゃんと反省しましたね?」
「…はい」
 ボク達は弥生先生に頭を下げ、生徒指導室を後にした。
 すでに窓からは夕陽が差し込み、学校を赤く染め上げている。
「NANA、堪忍な。うちのせいでNANAに迷惑かけて…」
「そんな、気にしなくていいよ」
 とは言ったものの、慎吾君と一緒に帰れなかったのは悲しい。
 ライムちゃんには、あのチョコは姉の七海から貰ったと伝えてある。
 実際このチョコを作ったのは私、七海な訳だし。
 弥生先生もボクがチョコを貰った事より、教室で騒いだ事を叱っていたので、チョコを没収されるような事はなかった。
 見つけたのが他の先生だったらどうなっていたか解らないと、弥生先生は言っていた。
「じゃあボク、用があるからもう帰るね」
「そ、そんなぁ。せっかくのバレンタインなんやから、もう少し一緒にいよ」
「ゴメン。すっごく大切な用事だから…」
 ライムちゃんは渋々承諾し、手を振って別れた。
「NANA。ホワイトデー、楽しみにしてるで〜」
 ハハハ…。
 さてと、早く慎吾君を探さなくちゃ。今日は部活に顔を出すって言っていたけれど、まだ学校にいるのかな?
 ボクは新聞部の部室、があると思われる方向へ歩き出した。正確な場所は解らないから、探すのに時間がかかるかもしれない。
 しばらく歩いていると、背後から突然声をかけられた。
「こんな所で何をしているのだ?」
「あ、伊集院君」
 話しかけてきた彼は、手さげ鞄の中に包装紙に包まれた箱をたくさん入れていた。
 …もしかして、アレ全部がチョコレートなの?
「これか? ボクのファンクラブの皆から貰ったのさ」
「伊集院君、すごいんだ」
「まあな。で、さっきも聞いたのだが神崎君は何をしているのだ? 弥生先生のお説教はもう終わったのだろう?」
「うん。あの、ボク…」
「橘にチョコを渡そうと思って探している、とか」
「うん! そうなんだ!」
「…へ?」
 ボクの考えてる事が解っちゃうなんて、伊集院君すごいなぁ。
 と驚いていると、伊集院君も何故か驚いた顔をしている。
「…冗談のつもりだったのだが」
「え? 何が?」
「い、いや。こちらの話だ」
 どうしたんだろう? なんだか慌ててるように見えるんだけれど…。
 まあ、いいや。
「あの、慎吾君、まだ部室にいるのかなって」
「な、なるほど。それでこんな所を歩いていたのか」
「うん。新聞部の部室ってどこにあるか知ってる?」
「知ってはいるが…橘ならさっき帰ったぞ」
「え…ええーっ!?」
 そんなぁ。学校で渡す方が雰囲気出ると思ってたのに…。
「多分、すでに寮へ帰ってるだろう」
「そっか…じゃあ、ボクも早く帰らないと!」
 きびすを返して走り出そうとして、立ち止まる。
「あ、そうだ!」
 ボクは鞄を開け、慎吾君へのチョコ…の下に入ってる小さなチョコを2つ取り出した。
「はい! 慎吾君のチョコを作るついでに、伊集院君のチョコも作ったんだ!」
「…ありがとう」
 伊集院君は困ったような顔をして、ボクからのチョコを受け取った。
 確かこれって、義理チョコっていうんだよね。
「おや? 2つあるようだが…」
「あ、片方は太陽君の分。伊集院君から渡しといて。ボクは寮に帰るから」
「…解った」
 ボクは全力で走り、慎吾君のもとへ向かう。
 後ろの方で伊集院君が何か呟いた気がしたけれど、よく聞こえなかった。
「…初めてのチョコが、男からとはな。太陽、同情するぞ」




 それから私のおやつは、毎日チョコレートになった。
 温子伯母さんは、毎日違う種類のチョコレートを持ってきてくれた。
 私、すっごく嬉しかったわ。
 慎吾君からメールが届くのが1番楽しみだったから、おやつの時間は2番目に楽しみだった。
 けれど私は、おやつがチョコレートばかりになってから一週間後、チョコレートのケーキを食べながら言ったの。
「おやつなんだけど、もうチョコレートじゃなくていいよ」
 温子伯母さんは、私がチョコレートに飽きたのかなって思ったみたい。
 けれど、私はチョコレートに飽きた訳じゃなかったの。
 だって、気付いちゃったから。
 そうしたら何だか、チョコレートを食べたくなくなっちゃった。




「ただいまっ!」
 ボクがドアを開けると、部屋の真ん中のテーブルに、包装紙に包まれた何かが置いてあった。
「…おかえり」
 慎吾君はその中の1つを開け、手にチョコレートを持っていた。
「…それ、何?」
「こ、これは…その…例の義理チョコ目当ての幼馴染みからの…」
「じゃあ、そのテーブルの上にあるのは?」
「…これは、幼馴染みの友達がくれて…。んで、こっちはボランティア先の女の子から。
 …で、これが…え〜と、澪ちゃ…特別授業で一緒の女の子から、です」
「そう。いっぱい貰ったんだね」
「あ、で、でも。全部義理だしさ。義理」
「…そう」
「NANAに見せるのも悪いかな〜って思って、帰ってくる前に始末しちまおうと…」
「…そう」
「え〜と…NANAも食うか?」
「いらない」
「NANA、甘いの好きだろ? だったら――」
「いらないってばぁ!」
 ボクは思わず大声で怒鳴っちゃった。
 解ってる。別に彼が悪い訳じゃない。
 でも…でもっ!
「良かったね、いっぱい貰えて。これじゃあホワイトデーが大変だよね」
「あ、あのなぁ、NANA」
「フンだ」
 ボクはそっぽを向いて、自分の机の上に鞄を置いた。
 …何をやってるんだろう。
 慎吾君は何もしていないのに、ボクが勝手にヤキモチ焼いてるだけなのに。
 ヤだ。ボク、そんな嫌な子だったなんて…。
 彼も言ってたじゃない。全部義理チョコだって。
 けれど、ボクは…。
「NANAは、無いのか?」
「あるさ! ライムちゃんが、英会話の時にくれたよ! 慎吾君のと違って本命のチョコなんだからっ!」
「いや、そうじゃなくて。NANAは、俺にチョコくれないのかなーって…」
「え?」
「その…他の誰より、NANAから貰えるの楽しみにしてたんだけど…」
「ホ、ホントッ!?」
 本当にそう思ってくれているの!?
 他の誰より…ボクから貰える事を楽しみにしていたっていうの!?
「当たり前だろ。俺は、NANAが好きなんだから…」
「嬉しいっ!」
 ボクは思わず慎吾君に飛びついちゃった。
 慎吾君はバランスを崩し、ボクが押し倒す形で倒れちゃった。
「NANA…」
「ごめんなさい! ボク…慎吾君に酷い事言っちゃって…」
 ボクの頭に、温かい彼の手が置かれる。
「気にしてないよ」
 手が、優しくボクの頭を撫でる。とっても気持ちが良い…。
「俺の方こそ、ゴメンな」
「そんな…君は何もしていないじゃないか」
「でも、NANAに嫌な思いさせちまったし…」
「そんな、気にしなくていいよ」
 慎吾君はボクを抱えたまま起き上がり、彼の膝に座る形で起こされた。
 そういえば、小さい頃は温子伯母さんのお膝の上に座ってたっけ。
「で、NANA。チョコ…無いのか?」
「あ、ちょっと待っててっ!」
 ボクは慌てて飛び上がり、机に置いた鞄からチョコレートを取り出す。
「はい! ボクからの、バレンタインチョコ!」
 慎吾君は大切そうにチョコを受け取り、ニッコリと微笑む。
「ありがとな、NANA」
「えへへ…。ねえねえ、早く開けてみてよ」
「ああ、解った」
 丁寧にリボンを解き、包装紙を破らないようにはがしていく。
 中から白い箱が現れ、開けるとハート型のチョコレートが入っていた。ボクの顔の半分くらいする大きなチョコ。
 ハートの中には、ホワイトチョコで『慎吾君へ』って書いてある。
「…これ、NANAの手作りなのか?」
「うん! 昨日、管理人さんに頼んで厨房を使わせて貰ったんだ!」
「…そうか、おばちゃんに頼んだのか。チョコレートを作るって言って…」
「うん、そうだよ」
「…そうか」
 あれ? 慎吾君、なんだか遠い目をしているような…。
「まあ、いいけどね…」
「…あの、ボクのチョコ、どこか変なの?」
「いや、そういうんじゃないよ。美味そうだな、食べていいか?」
「うん!」
 慎吾君はチョコレートをパキッと割って、小さくしてから口の中に入れた。
「…どう?」
「ん、美味い」
「やったぁっ!」
 嬉しい! ボクの作ったチョコを…慎吾君が美味しいって食べてくれている!
 ボクもちょっと味見したんだけど、やっぱりすごく美味しかったもの。
 ついつい慎吾君の分まで食べちゃいたいくらいに…。
「NANAも食べるか?」
「え? いいの?」
「さすがに、1人で食べるには大きすぎるしな。それにNANAは甘い物好きだろ?」
「うん!」
 チョコは半分に割られて、ボクは大きい方を貰った。
「美味しい〜」
「俺も、こんな美味いチョコ食ったの初めてだな」
 本当に美味しい。
 昨日味見した時より、ずっと美味しく感じる。
 それはきっと、慎吾君と一緒に食べているから…。
 チョコレートの甘さが口の中に広がり、心にまで染み込んでくるみたい。
 初めてのバレンタイン。
 それは、ボクにとってとても大切な思い出になった。




 ボクはチョコレートを食べたかった訳じゃないんだって、気付いちゃったから。
 そりゃあ私は甘い物が好きで、チョコレートも大好きだけど…。
 私は、慎吾君にチョコレートをプレゼントしたかったの。
 慎吾君と一緒に食べてみたかったの。
 だから1人で食べていると、何だか悲しくなっちゃうから…。
 絶対に叶わない願いだって、解っている。
 けれど、どうしても思っちゃうの。
 いつか、慎吾君と一緒にチョコレートを食べられますようにって。
 叶わない願いだけが、どんどん溜まっていく。
 慎吾君に会う事すら出来ないのに、こんな願い叶うはずないのに…。
 でも、
「…あきらめない、か」
 私は…彼に会う事が出来るのかしら?
 一緒にチョコレートを食べる事が出来るのかな?




 ボク達4人が教室に入った途端、皆の視線が集中した。
「お、来た来た」
「いやぁ、バレンタインチョコを貰えるなんて羨ましいねぇ」
「つーか、チョコを上げる側だったとはなー」
 クラスメイトが冷やかしの声を上げ、慎吾君の表情が曇る…。
「…まさか、バレてるのか?」
 隣にいるボクにしか聞こえないような呟きの後、後ろにいた伊集院君が慎吾君の肩に手を置く。
「モテる男は辛いな、橘」
「うるへー」
 …どういう事?
 あ、そうか。バレンタインは女の子が男の子にチョコを上げる日だっけ。
 ボクは一応男の子って事になってるから、他の人から見たら変なのかなぁ?
「しかしまさか、光が太陽に気があるとは知らなかったなぁ」
「は?」
「え?」
「何だと!?」
「何ぃっ!?」
 ボクの後ろで、伊集院君と太陽君が絶叫を上げる。
「な、何を言っているんだ君達は!」
「だってよー。昨日、お前が太陽にチョコ渡してるの見たぜ?」
「あ、あれは…」
 それって、ボクが太陽君に渡してって頼んだチョコの事?
「ちっがーう! あのチョコは光が預かって来た物で…」
「預かったって、誰からだよ?」
「そ、それは…」
 伊集院君の目が泳ぎ、太陽君がチラッとボクを見た。
 耳元で慎吾君が囁く。
「NANA…もしかして、義理チョコとか渡したのか?」
「う、うん。太陽君にも渡してって、伊集院君に頼んだんだけど…」
「…そうか」
 伊集院君と太陽君は、誤解を解こうと必死にクラスメイトと話をしている。
 ボクと慎吾君は、そんな2人を教室の入り口から見つめていた。
「おホモ達カルテット…なんて事になったら不味いな、俺も協力してやるか」
 慎吾君も伊集院君達の所へ行って、皆と何事かを話し出す。
 …ボク、何か悪い事でもしちゃったのかなぁ?




 顔すら知らない、一度も会った事の無い人を好きになるのは、おかしいのかなぁ?
 でもこの気持ちは、私の心をとても温かいもので埋め尽くしている。
 お饅頭よりも、ケーキよりも、チョコレートよりも、世界中のどんなお菓子よりも甘いもの。
 いつか、叶う日が来るといいな…。

――恋――
――それはとても甘いもの――








もうすぐバレンタインだなーと思ったら、急に書きたくなりました。
離れのシーンを書いておきながら神崎家や手術の事は無視。
さらに光君と太陽君にまでホモ疑惑の魔手が…。
ホモ疑惑ネタは大好きです(^^)
NANAが7月29日にケーキを食べていたというのが、
一番好きなシーンだったりします。
SUMI様