この、すばらしい世界で





「義兄さん、ちょっといいかな?」
乾杯から早一時間近くたった頃、慎吾は少し離れたソファーに腰を下ろし一休みしていた。
が、そんな慎吾に少し遠慮気味に、七瀬が話しかけてくる。
その顔はやや朱に染まっており、一目見ただけで大分飲んでいることが見て取れた。
「七瀬、楽しんでるか?」
「うん、おかげさまでね。こんなに楽しいバースデーパーティ、
生まれて初めてだよ。本当にありがとう。」
慎吾の左に腰を下ろしながら、本当に嬉しそうに爽やかな笑みを慎吾に向ける。
そんな七瀬の笑顔を見て、慎吾も思わず、笑顔になってしまう。
やはり双子なだけあって、七瀬の笑顔は七海のそれとよく似ているからだ。
「そうか、楽しんでもらえて何よりだよ。」
「うん。それで、話なんだけどね…。」
トン、とその小さな頭を慎吾の腕に預け、慎吾の胸に左手でソッと触れる。
「な、何だよ七瀬?」
「義兄さんは…逞しいね。体も立派だし、それに──心も。
とても強くて、しっかりしている。」
「そ、そうか?俺は別にそうでもないけどな。」
「そんなことないよ。ボクは生まれつき虚弱体質で、体が弱かった。
だから、いつの間にか心まで、弱くなってしまっていた。
そのせいかな、義兄さんの強さが少し羨ましいんだ。
姉さんを十年間、ずっと追い続けることが出来た強さ。
何があっても姉さんを見守り続けてきた強さ。
それに──体の強さも。」
話すうちに小さくなっていく七瀬の声に、慎吾は少し胸を痛める。
その虚弱体質のせいで、七瀬はずっと家と病院とを行き来する生活を余儀なくされたからだ。
さらに、七海がドナーとなったのも、七瀬の虚弱体質が原因なのだから、
本来ならば慎吾は七瀬の虚弱体質を憎んでもいいほどのものだ。
しかし慎吾はそんな素振りなど微塵も見せず、
自分にもたれかかって来ている七瀬の頭をソッと撫でる。
「七瀬、俺はそんなに強くなんかない。体なんて特に鍛えた覚えもないから、
スポーツ特待生だった太陽には負けるし、勉強だって光には勝てない。
それに、心だってそんなに強くなんてないさ。
俺なんかより、七海の方がよっぽど強い。」
「そう…かな?ボクには義兄さんも十分強く見えるんだけどな。
ボクは体も心も弱いから、いざというときにも、家族を護る自信がないよ。
ううん、違う…ボクは姉さんを護れなかった。
もしもボクがもっと強かったら、もっとしっかりしていたら、姉さんを護れたのに。
今日、姉さんが本当に楽しそうにしているのを見て、それを痛感したよ。
本当なら…ボクたちはもっと昔から、
こんな楽しい時間を過ごしてこれたかもしれないのにって。」
顔を伏せているため表情までは見えないが、
声の調子からして七瀬は真剣に落ち込んでいるようだ。
もしかしてずっと前から悩んでいたのか?
いや、酔った勢いなのか?
などと考えながら、慎吾は七瀬をグイッと自分の方へと強引に引き寄せる。
「しっかりしろよ、お前がそんなんじゃ涼子さんやななちゃんが心配するだろ?
お前ももう、一家の主だ、大黒柱だ。
その気になれば、十分家族を護っていけるさ。」
「…ありがとう、義兄さん。ボク、少しがんばれそうだよ。」

慎吾を見上げ、ニッコリと微笑む七瀬。
その瞳には、十年前の寮で見た七海の瞳と同じ輝きが宿っていた。
『あきらめない』と言ったときの七海のまっすぐな瞳と同じ、強い輝きだ。
「あら七瀬くん、慎吾に甘えちゃって、もうすっかり兄弟ね。」
せっかく兄弟でいい話をしているというのに、
ビール瓶片手に永愛が間に割って入ってくる。




「お、お義姉さん。」
「フフ、慎吾に甘えてた七瀬くんも可愛かったわよ〜。
やっぱアレよね、今でも十分可愛いんだから、中学や高校のときなんて
それはもうものすごい美少年だったんでしょうねぇ〜。
一度でいいから見てみたかったわね〜。」
「あ…えっと、その…ごめん義兄さん、ボク姉さんたちのところに行くよ。」
「ああ。わりいな。」
すっかり悩みが吹き飛んだのか、七瀬はニコニコしながら七海たちのところへと歩いていく。
「はぁ…姉貴、本当に人を困らせるのが好きだよなぁ。」
「ふふん、あんたには言われたくないわね。」
「で、何のようだよ?」
「あら、久しぶりに会いに来た姉に対して言うセリフじゃないわね。」
「…姉貴、俺と話したいから七瀬をあっちにやったんだろ?
いつも遠まわしなことするんだからなぁ…。
普通に『ちょっと話がしたいから、席はずしてほしいんだけど。』とか言えばいいのにさ。」
「そんなことしたら、七瀬くんが可哀相じゃない。」
「そりゃそうだけどさ。まぁいいや、で、話って?」
永愛はふと目を落とす。
しかし、口元は少し緩んでいるようだ。
「あんた、強くなったね。七瀬くんも言ってたけど、アレ、アタシもその通りだと思うよ。」
「姉貴まで言うか?」
「あんたは気づいてないみたいだけどね。
でも、あんたは強くなった。昔なら、10年かけて一人の女の子を追って、
さらにずっと見守り続けることが出来るほど強くはなかったからね。」
永愛は顔を上げ、慎吾をまっすぐ見据える。
その瞳からは優しさと、力強さの両方が感じられる。
「…俺が本当に強くなったとしたら、それは七海のおかげ──ハハッ、懐かしいな。
一度、七海にも同じようなことを言われたっけ。」
慎吾は、ふとあの日の、寮での出来事を思い出した。
七海に対して『強いな』と言ったとき、
七海から『私が強くなったとしたら、それはあなたのおかげよ』と言われたのだ。
「ふ〜ん…何があったのか知らないけど、やっぱり愛の力は偉大ってことかしらね?」
「ああ、そうだな。あと…姉貴のおかげでもあるけどな。」
「アタシ?」
「姉貴の口癖。」
「ああ…『夢と希望、真実と可能性は、自分自身の足で前に進んでこそ手に入るものだ』ね。」
「そう、それ。昔っから聞かされ続けてさ。
俺が七海を探すのに疲れ果てたときに電話したときも、言ってくれただろ?
そのおかげで俺は七海を見つけ出すことが出来たんだ。
俺は七海が生きているという可能性を信じて、そして真実にたどり着いた。
全部、姉貴のおかげだよ。」
慎吾の言葉を聞いた永愛は、少し照れくさそうに微笑む。
「俺、今すっげえ幸せだよ。七海と一緒にいられて、七瀬たち家族とも仲良くできて。
それに、周りにはこんなにいい人たちがいる。」
「そうだね──あんた、七海ちゃんを幸せにしてあげるんだよ。
絶対に泣かせるようなまねするんじゃないよ。
あんたが今のあの子の居場所を創った。
だから、あの子にとってあんたは『世界』そのものなんだから。
あんたがいないと、あの子は幸せになれないんだから。
あんたじゃないと、あの子を護ることは出来ないんだから。
だから──絶対にあの子の傍にいてあげな。
絶対に手放さないように、ギュッと掴んであげな。
それが、あの子の幸せなんだから。」
「言われるまでもないさ。」
自信に満ちた眼差しで、慎吾はまっすぐ前を見据える。
その先には、七瀬たちと一緒に楽しそうに話をしている七海の姿があった。
「ところで七瀬くん、きみもうちで働いてみないかね?」
「え、ボクがですか?」
「まぁ、それはいい考えだわ。あなた、可愛いからうちのウェイトレスの服が
似合うんじゃないかしら。双子でウェイトレスなんて、素敵だと思うんだけど。」
「ちょっ…ボクは男ですよ?」
「あらいいじゃない、七瀬も一緒にバイトしましょうよ!」
「姉さん!?」
「ふふっ、私もあなたのウェイトレス姿見てみたいわ。ね、なな?」
「うん、パパのうぇいとれすさん、見てみたいな。」
「ちょっと、何言ってるんだよ。ボクがそんな格好できるはずないだろう?」
「面白そうじゃん、やってみなって!」
「うむ…そのバタカップの服がどんなものかは知らないが、
似合いそうだとは思うな。」
マスター夫妻から姉から家族から、挙句のはてには姉の同級生にまで
ウェイトレスの格好を強要される七瀬をみながら、
慎吾と永愛はつい苦笑いをこぼしてしまう。
「あら、面白そうな話してるわね。アタシたちも混じりましょうよ。」
「え?混じるって…七瀬にウェイトレスさせるかどうかって話にか?」
「そうよ、もちろん・・・賛成の方向で!!」
嬉しそうにはしゃぐ姉を尻目に、慎吾はため息をつく。
そのため息にはどこか、嬉しそうな空気も混じっていた。








END






次回、『バタカップへようこそ!』へ続く(嘘)