ホトトギス
最初は、ただ会いたかった。
好きだから。
一度も会った事すらない彼を、愛してしまったから。
ただ、それだけだった。
私の隣で静かな寝息を立てる愛しい人の寝顔を見て、思う。
どうしてこうなってしまったんだろう?
けれど後悔はしていない。
たとえこの先、どんな未来が待っていたとしても、私は彼とともに歩む。
後悔はしていない。
そして…これからも後悔はしない。
だって私は、彼を愛しているから――。
――ホトトギス
学生服の襟元を締め、鏡に映った自分の姿を見る。
長い髪を三つ編みにし、学ランに身を包んだ私は、まるで男の子のよう。
スッと息を吸い、吐く。
鏡の中の私が、悲しそうに微笑んで囁く。
――大丈夫、心配する必要なんてない。だって、彼がいてくれるのだから。
私の全てを話し、全てを受け入れてくれて、私が全てを捧げた人。
彼はまだベッドの中で安らかな寝息を立てている。
そっと彼に歩み寄り、寝顔を覗き込む。
――ああ、変わらないな。
そう、変わらない。出会った頃のまま、とても穏やかで安らかな寝顔。
彼の肩に手を置き、軽く揺する。
「朝だよ…ねえ、起きて」
眉間にしわを寄せながら、彼はゆっくりと暗い瞳を開いた。
「んだよ…今日、休日だろ? お前…何で学ラン着てんだ?」
「忘れたの…? 今日は――」
ふいに彼の手が私の肩を掴み、ゆっくりと身を起こす。
「ああ、そういえば今日だったな。思い出したよ…」
気怠そうに言うと、彼はベッドから降りてシャツを脱いだ。
私はすぐ彼の学生服を用意して、着替えを手伝う。
「…タリィな」
彼の口癖。
出会った頃はそうでもなかったけれど、最近よくこの言葉を口にするようになった。
「約束の時間まで…まだ余裕があるな」
時計を見て呟き、彼は何事かを考え込む。
「NANA、先に学校行ってろ。俺はもう少しのんびりしてから行く」
「はい」
「ヒマなら適当に遊んでてもいいけど…あいつには後で働いてもらう。やりすぎるなよ」
「はい」
「NANA、不安か?」
「…少しだけ」
「お前は何も心配するな、全部俺に任せろ」
「はい」
休日の鷹宰学園には人の気配が無く、私は何気なしに校内をぶらついていた。
本当はもう待ち合わせ場所へ向かってもいいのだけれど、少し気分転換がしたかった。
ふと、中庭へ足を伸ばす。
そこには色とりどりの花の植えられた花壇があり、近くには温室も建っている。
そういえば、ここだったな。
12日の放課後。
彼は彼女と話をするため、ここに来た。
あの日から、全てが変わってしまった。
けれど私はあの人を恨んでなんかいないし、後悔もしていない。
今日、どんな事があったとしても…私は大丈夫。あの人が守ってくれるから。
そっと花壇の前にしゃがみ込み、白地に紫色の斑点模様がある花を指先で撫でた。
この花は何ていう名前だっただろうか?
あの離れの中で呼んだ植物図鑑の記憶を引きずり出しながら、じっと紫の花を見つめる。
なんてキレイな色なんだろう。
もう少しで花の名前が思い出せそう。けれどどうしても、後一歩のところで思い出せない。
しだいに思い出せない事に苛立ってきて、紫の花から視線を逸らす。
その先にホトトギスと書かれた小さな白い看板。
――ああ、そうだ。このお花の名前はホトトギスだ。
名前が解りスッキリしたので、私は立ち上がって花壇を後にした。
そろそろ、待ち合わせの場所に行こう。
多分まだ来ていないだろうけど、彼を少しでも待たせてしまうなんて事、する訳にはいかない。
校長室と書かれたプレートの貼ってある扉を、私はノックすらせずに開けた。
机の上に座っていた金髪の女の子、ライムちゃんが振り返り、私を見てニコリと笑う。
「遅かったやないの」
「うん、ちょっと寄り道をしていたから」
ライムちゃんの座る机の前には、この学園の校長先生が正座をしていた。その頭上には、ライムちゃんの足。
「ライムちゃん、そんなところに足を乗せちゃ駄目だよ。髪が乱れちゃう」
「ああ、それもそうやな。身なりはキチンとしとかんと。ええか、5分以内に髪整えてきい」
「はい、承知いたしました」
ライムちゃんが足をどけると、校長はスタスタと部屋を出て行った。
「あいつがいないとなると、次の暇潰しの相手は……せやな、NANAはどっちがいいと思う?」
ライムちゃんが部屋の隅を顎で指し、そちらを向くと2人の女の人がうつむいて正座をしていた。
学園トップの成績を誇り、氷の美女と呼ばれる須藤澪。
そして男女交際禁止の鷹宰学園の教師でありながら、同僚の先生と不倫をしていた女教師の仁科弥生。
私達の暮らす男子寮の管理人が、彼女の変装した姿だと知った時は私も彼も驚いた。
「ライムちゃん。あの2人を苛めるのはかまわないけれど、後で働いてもらうんだから程々にね」
「解っとるて。やり過ぎてご主人様に怒られるなんてゴメンやからな」
ライムちゃんは机から降りて、ツカツカと2人の前まで歩いて行く。
「せやな、服や髪が乱れるような事は出来へんし…何をしてもらうか?」
嗜虐の笑みを浮かべるライムちゃんを恐れているのか、2人はうつむいたまま微動だにしない。
「そうや。これから大事なお客さんに会う訳やから、身なりはキレイにしとかんとな。
2人でうちの靴をキレイにしてもらおうか?」
途端に2人は安堵したかのように表情を緩めると、ポケットからハンカチを取り出した。
「違う」
情けのない、冷たい声。
「うちの靴を舐めろ、言うとるんや」
「なっ…」
澪は怒気をはらんだ表情でライムちゃんを見上げ、睨み付ける。
「その目は何? うちの命令が聞けへんとでもいうの? 奴隷のくせに」
澪は肩を震わせながらも反論する事が出来ず、屈辱に顔を歪ませて恐る恐るライムちゃんの靴に舌を伸ばした。
そんな澪の様子を見ていた弥生先生も、同様にライムちゃんの靴にキスするよう顔を下げる。
私は呆れてため息をついた。
「ライムちゃん、やめときなよ」
靴と舌が触れ合う直前、2人は動きを止めた。
すがるような目つきで私を見つめ、一方ライムちゃんはいぶかしげな顔をする。
「そんなのに靴を舐めさせるなんて、キレイになるどころか汚れちゃうんじゃないの?」
弥生先生は私の言葉にショックを受けたのか、恥辱に顔を歪め瞳に涙を浮かべた。
けれど澪は眉を吊り上げて私を睨んでくる。
反抗的な目…気に入らないな。
「せやな、NANAの言うとおりや。こんな奴等に靴なんか舐めさせたら…NANA、どないしたん?」
「ライムちゃん、自分の立場を解っていない子がいるみたいよ」
澪の肩がビクリと跳ね、顔を強張らせる。
自分がどんなに愚かな事をしてしまったのか、ライムちゃんと一緒にじっくりと思い知らせて上げよう。
ライムちゃんの隣に行き、澪を冷たく見下ろす。
「NANA、どんなお仕置きしようか?」
「そうね…」
私がお仕置き方法を考えていると、校長室のドアがノックも無しに開いた。
この部屋にノック無しで入ってくる人物として真っ先に思い浮かぶのは、誰よりも愛しいあの人。
私もライムちゃんも至福の笑みを浮かべて振り返る。
入ってきたのは髪を整え直した校長だった。
あの人と校長を間違えてしまうだなんて、自分が情けなくなってしまう。
ライムちゃんも同様に、眉根を寄せて残念そうにため息を吐いた。
「そんな顔をして、何かあったのか?」
校長の後ろから発せられた、愛しいあの人の声。
「ご主人様」
ライムちゃんが嬉しそうに微笑む。
きっと、私も同じような笑みを浮かべているんだろうな。
「待たせたな」
彼は口の端を吊り上げると、校長のお尻を蹴り飛ばした。
「とっとと席に着け、そろそろ時間だろ」
「は、はい。ただいま」
校長はいそいそと机に駆け寄り、椅子の上に腰を下ろす。
「さ、澪も弥生先生も立つんだ」
「は、はいっ!」
2人とも返事をして、素直に彼の言葉に従う。
私達の言葉には反抗したくせに。
「ご主人様、ちょっといいですか?」
「どうした?」
私は澪に視線を向け、微笑を浮かべた。
「実はさっき、澪が私達に反抗的な態度をとって…」
「そ、それは…」
澪が愚かにも口を挟む。
「黙れ」
彼は感情の無い声で言うと、私からライムちゃんへと視線を移した。
「ライム、本当か?」
「本当や。この女、靴舐めろ言うたらうちを睨んできてな…
NANAが舐めさせるのは汚い言うたら、反抗的な目ぇして…」
「そうか。澪、お前は後でお仕置きだ…」
「ご、ご主人様。どうかお許しください…」
「駄目だ」
彼の無慈悲な言葉に、この女はやっと自分のした行為の愚かさを理解したみたいだった。
フンッ、気づくのが遅すぎるのよ。
「さて、罰は後で与えるとして…今すぐ出迎える準備をしろ。さっき、それらしい車が来た」
彼の言葉に、みんなの顔が引き締まる。
校長は椅子の上で威厳たっぷりにふんぞり返り、弥生先生と澪は机の横で背筋を伸ばして立っている。
ライムちゃんは私の肩をポンと叩いて、ニッコリと笑う。
「NAーNA、そんな顔せんでも大丈夫や。みーんなご主人様に任せときぃ」
どうやら私は、また不安に顔を染めていたらしい。
私とライムちゃんは、澪達の反対側に立った。もちろん、彼も一緒に。
「お前等…もし失敗したら、もう2度と俺の相手はしてもらえないと思えよ。
NANAは、俺のものなんだからな。俺だけのものだ、他の誰にも渡しはしない…」
不安や恐怖が消えた訳じゃない。
けれどあの人の言葉を聞いて、それを上回る安堵感が私を支配する。
大丈夫、何も心配はいらない。
きっと全てが上手くいく。
ずっと彼と一緒にいられる。
ずっと…。
――コンコン。
校長室のドアが叩かれる。
来た。
私の運命を左右する人物が、ここに来たんだ。
「どうぞ」
校長は私達の奴隷になる前のように、低く落ち着いた声で扉の向こうに呼びかける。
「失礼します」
優しく、おだやかな声。
十数年間、ずっと聞き続けてきた声が、返事をした。
扉が開く。
私を育ててくれた温子伯母さんが、そして、私を幽閉したお父さんが校長室へ入ってきた。
「お待ちしておりました」
2人は部屋の中央まで歩いてきて、私を見た。
温子伯母さんは悲しそうな瞳で。
お父さんは怒りと憎しみをはらんだ瞳で。
「七瀬、こんな所で何をしている。家に帰るぞ」
苛立った口調でお父さんは言った。それに対して、とても落ち着いた声が返事をする。
「七瀬じゃなく、七海でしょう。それに家に帰るのではなく、行き先は帝慶病院では?」
一瞬、2人は目を見開いて驚愕する。
そしてお父さんは顔を真っ赤にして怒鳴り返してきた。
「七海っ! 貴様、離れから出してやった恩を忘れて全て話したのかっ!?」
ズキリと胸が痛んだ。身体が震える、恐怖が込み上げてくる。
「離れから出してやった恩? ふざけないで下さいよ。あんたがやった事は立派な犯罪だ」
彼の冷静な口調に、お父さんはさらに苛立った。
「貴様は黙っていろっ! だいたい誰なんだっ!? 関係ない奴は引っ込んでいろっ!!」
「関係あるんだよ。NANAは俺に会うために、この学園に来たんだからな」
「そうかっ! 貴様が七海をたぶらかした男だなっ!!」
「たぶらかしたとは心外だな」
彼は呆れた顔でため息をつくと、校長に視線を送った。
「神崎さん。事情は全て彼女から聞きました。
あなたのした事は、教育者として見過ごす事が出来ませんな」
「なんだとっ!? お前に何が解る! 神崎家が滅んでもいいというのかっ!?」
「あのようなくだらない迷信のために、我が校の生徒を見殺しにする訳にはいきません。
もしあなたが彼女を無理矢理連れていこうというなら、こちらも法的手段に出るをえませんな」
校長の言葉に、澪が続く。
「私、七海さんの学友の須藤澪と申します」
本当は学友じゃなく、奴隷なんだけどね。
「私の両親は検事をしていまして、先日七海さんの事を相談してみましたの」
「なっ…」
「両親はとても正義感が強く、あなた方が七海さんにした仕打ちを許せないと言ってました。
法廷で戦う準備は、とっくに出来ています」
もちろんこれは嘘。
彼がこう言うよう、澪に命令しただけ。
「貴様等、脅迫する気かっ…!」
「言いがかりはやめろよ。お前はNANAを離れに閉じ込めて、今度は肺まで奪おうとしている」
ゾクリと背筋が冷たくなるような、彼の冷徹な声。
出会った頃は、こんな喋り方をする人じゃなかったな…。
「何が脅迫だ。あんたにNANAをどうこうする権利なんてない、NANAはあんたの物じゃない」
そう。私はお父さんの物じゃない、私は彼の…彼だけの……。
「NANA。お前はいったいどうしたいか…今この場で言ってやれよ」
みんなの視線が、私に向けられる。
その視線の中で、唯一怒りと憎悪の込められた暗い瞳を見つめ返した。
「私…私は…」
恐い。
出来るなら、今すぐにでもこの場から逃げ出したい。
でも、彼と一緒にいるためだったら…私は…。
「私は…ここにいたい。神崎家の事なんてもうどうでもいいっ!
彼の側にいたいのっ! この人と一緒にいる事が、私の全てなのっ!!」
憤怒に顔を歪ませるお父さんと、悲哀に満ちた表情の温子伯母さん。
どちらも私の胸を痛烈に締め付ける。
けれど。
かたわらで勝利の笑みを浮かべる彼がいてくれるだけで、私は全てを犠牲に出来る。
「帰って。そして…もう2度と私の前に現れないで。私と彼の生活を乱さないで…もう、私の事は放っておいて!」
運動をした訳でもないのに呼吸が荒くなり、心臓が驚くくらい大きく脈打っている。
視界が涙でぼやけ、お父さんと温子伯母さんがどんな表情で私を見ているのか解らない。
ふいに、あたたかい手が肩の上に置かれる。
「NAーNA、そんな興奮せんでも大丈夫や」
「ライムちゃん……」
「ちょっと外でも出て、新鮮な空気でも吸って休んできぃ」
「う、うん…」
ライムちゃんに背中を押され、私は隣室の扉を目指して歩き出した。
「待てっ! まだ話は終わっていないぞっ!」
背後から怒声が投げかけられる。
「いいから行けよ、NANA。どうやらお前の親父は自分の立場を解ってないみたいだからな…」
黒い瞳がゆらりと揺れ、彼はお父さんを挑発するように見つめ、口の端を吊り上げた。
お父さんも彼を睨み返す。
後ろ髪引かれる思いをしながらも、私は校長室を出た。
行く当てなんて無かった。
だから言われたとおり外に出て、適当に歩いて…気が付くと、中庭の花壇にいた。
紫の花、ホトドキスの前にしゃがんで、指の腹でそっと花びらを撫でる。
冷やりとした感触が伝わり、少しだけ心が落ち着いた。
――大丈夫、何も心配いらない。
――あの人に任せておけば大丈夫。
――あの人さえいてくれれば大丈夫だから。
――お父さんの事も神崎家の事も、全部大丈夫。
――大丈夫。
ふいに、花びらにポツリと水滴が落ちる。
ハッと頬を撫でると、涙で濡れていた。
「ヤだ、私…どうして泣いてなんか…」
理由が解らないのに、次から次へと涙があふれてくる。
止まって。
何度も心の中で呟く。
何度も、何度も。
――どうして、どうして涙が止まらないの?
私の涙を受け止めながら、ホトトギスの花は静かに揺れていた。
ゴシゴシと袖で涙を拭い、私は立ち上がった。
もうずいぶんと時間が経ってしまった、もうお父さんとの話はすんだのだろうか?
校長室へ戻ってみようと思い、ホトトギスに背を向けた先には…。
「…七海」
「あ…温子伯母さん? どうしてここに…」
「あなたと、お話がしたくて…」
心臓が跳ね上がる。
「は、話…って、何の…?」
自分でも驚くくらい、声が震えている。
――恐い。
お父さんに対して抱いたものとは、まったく異なるの恐怖。
愛する人に嫌われ、捨てられるんじゃないかという恐怖。
「ねえ…話って」
「あなたと、七瀬の話よ」
息が詰まり、胸が張り裂けるような痛みに襲われる。
「…七海。私は、あなたがここに残りたいという気持ちはよく解るわ。
大好きな人とずっと一緒にいたいと思うのも、当然の事ですもの」
「…お願いっ! 私を神崎家に連れ帰らないで…」
「安心して、義弟は…あなたの事をあきらめたわ。もう神崎家に縛られる事なく、ずっとここにいられるのよ」
「え? ほ、ホントにっ!?」
「ええ。慎吾さんが義弟を説得…いえ、脅迫したの。
鷹宰学園や教育委員会、須藤さんのご両親、それに有名貿易商のリーガン家まで敵に回したら、
本当に神崎家は潰れてしまうから…。そうなってもいいのかって、慎吾さんが義弟を脅したのよ…」
「……そう」
良かった、これで私は…彼とずっと一緒にいられる。
「私、とても驚いてしまったわ。慎吾さんの印象が、あなたから聞いていたものとだいぶ違ったから…」
温子伯母さんの戸惑った表情を見て、私は苦笑を浮かべた。
「彼は、出会った頃とずいぶん変わっちゃったから。…でも、私が彼を愛している事は変わってないわ。
それだけは決して変わらない。これからも、ずっと」
「あなたも変わってしまったわ…昔の七海は、もっと……」
顔を伏せた温子伯母さんは、着物の袖でそっと目元を拭った。
…もしかして、泣いているの?
確かに私も彼も変わってしまった。
こんな時、昔の私なら温子伯母さんを慰めて上げようと必死になっていた。
――ムカシノワタシナラ
変わってしまった、何もかも。
私も彼もライムちゃんも、私達を包む環境も。
何も、かも。
「…七海、もう1つ…あなたに話があるの。あなたに訊きたい事があるの」
温子伯母さんは悲しそうに眉根を寄せながら、私に歩み寄ってきた。
「あなたは、七瀬を見捨てるの?」
目頭が熱くなり、あれほど泣いたというのにまた涙が浮かび出てくる。
「そ、それは…」
「七瀬を見殺しにするの…?」
「言わないで…そんな事、言わないでよ…」
「七海、あなたは七瀬の事をあんなに幸せそうに眺めていたのに…なのに…」
「もうやめてよっ!」
耳をふさぎ瞼をきつく下ろし、私はその場にうずくまった。
でも下ろした瞼に、七瀬の無邪気な笑顔が浮かび上がる。
嫌…七瀬がこのまま死んでしまうだなんて、絶対に嫌っ!
でも…でも……。
「七海、あなたは…七瀬が死んでしまってもいいと思っているの?」
「そんな…そんな訳ないじゃないっ! 七瀬はとても大切な弟よ…でも、でも……」
「七海、だったら――」
ふいに、温子伯母さんの声が途切れる。
恐る恐る瞳を開き、温子伯母さんを見上げると…肩に、後ろから誰かの手が置かれていた。
「それはつまり、NANAに死ね…って事か?」
そして温子伯母さんの背後から聞こえる、私が世界で一番好きな声。
「し、慎吾さん…」
「解ってるだろう? 手術がどんなに危険か…。仮に助かったとしても、肺を失ったNANAがどうなるか…」
「そ、それは…でも、このままだと七瀬が…」
「七瀬を救うためにNANAの命を犠牲にする気か?
それじゃあ神崎家を救うためにNANAを犠牲にしたあの愚かな男と同じだ」
温子伯母さんは言葉を失い、瞳からあふれた涙が頬を伝う。
肩が震え、今にも崩れ落ちてしまいそう。
まるでさっきまでの私のように、温子伯母さんは身を引き裂かれる思いをしているに違いない。
「素直にドナーが見つかるのを待つんだな。何なら父親の肺をえぐり出したらどうだ?」
「うっ…ううっ……」
ついに膝を折り崩れ落ちる温子伯母さんを、私は慌てて抱き支えた。
耳元で聞こえる、様々な感情の込められた嗚咽。
そんな温子伯母さんに対し、氷のように冷たい笑顔を向ける彼。
「七瀬のドナーが見つかって手術が成功したら、ぜひ教えて下さい。
NANAと一緒に会いに行きますよ。俺も、神崎七瀬には興味がありますから」
氷の笑顔が私に向けられる。
「さ、NANA。もう全て終わった…これからはずっと俺と一緒だ。お前は、俺だけのものだ…」
私は温子伯母さんを支えながら立ち上がり、そっと身体を離した。
「NANA、行くぞ。ライム達も待ってるからな」
「はい」
背を向けて歩き出す彼の後を追いながら、私は温子伯母さんの方を振り返った。
「温子伯母さん。今まで…ありがとう」
別れの言葉。
私を育て、愛してくれた温子伯母さんを、私は裏切ったんだ…。
全て、彼のために。
「ご主人様もNANAも、帰ってくるの遅いやないの〜」
校長室の前でライムちゃんは私達の帰りを待っていた。
「うちらを放って、2人で楽しんでるんじゃないかと心配したわ。さ、早く中入ろ〜」
「フフ…ライム、ずいぶんと張り切ってるな」
ライムちゃんはとても生き生きとした笑顔をして、彼に抱きついた。
「そりゃそうや。今日は色々としんどかったし、思う存分楽しも」
小悪魔のような嗜虐の笑みを浮かべるライムちゃん…。
校長や澪は、いつも以上に可愛がられるんだろうな。
「ライム、そうやって笑うお前はいつも以上に輝いて見えるな」
「嬉しい事言ってくれるやないの、さすがご主人様や」
今度は無邪気な子供のように笑い出す。
「ライムちゃん、本当に可愛いよ。今日はいっぱい楽しもうね」
「えへへ〜、ありがとなNANA」
ライムちゃんは校長室のドアノブを掴んで、振り返った。
「そうそう、可愛いと言えば…ちょっと面白い話があるんよ。
ライムの花言葉は『美しさの象徴』なんや、うちにピッタリだと思わへん?」
自慢気に胸を張るライムちゃんを見ながら、私はふと思い出した。
――ホトトギスの花言葉、それは――
「くだらない話は終わりだ、早く中に入れ」
彼の命令を受け、ライムちゃんは校長室の扉を開く。
彼とライムちゃんの2人と一緒に中に入り、扉が閉まる。
奴隷達が、待ちわびたように私達を見た。
今日も狂宴が始まる。
勝利を祝う宴が。
私は隣にたたずむ愛しい彼の横顔を、暗く深い瞳を見つめながら、心の中で呟いた。
(慎吾君、私は……)
――永遠に、あなたのもの――
FIN
今回はダークENDの後日談です。
今までの作品とは根本的に違いますので、不快に感じる方もいるかもしれません。
けれど、これもある意味ハッピーエンドですよね。
神崎父を撃破出来て楽しかったです(笑)
SUMI様
今回BGMがCHU!の曲じゃありません。
個人的に作品のイメージにぴったりだと思ったのでこの曲にしました。
どうしても他の曲に出来ませんでした。今回は大目に見てください。
HIDETO