ココロにリボンをかけて






「…おかしい」
 ホームルーム前の教室で、自分の席で不安に押しつぶされそうな顔で、慎吾は呟いた。
「おかしい…絶対におかしいっ!」
「…慎吾君、何がそんなにおかしいんだい?」
 隣の席から、ルームメイトの七瀬が声をかけてくる。
 慎吾の様子が変なので、とても心配そうに…上目遣いで…。
 そんな七瀬を見て、慎吾は一瞬ドキリとしてしまう。
「そういえば今朝…やけに周りをキョロキョロしていたよね」
「あ、ああ…」
「やっぱり姉さんを探していたの? いつもは迎えに来てくれるのに…。
 あ、もしかして姉さんを心配していたの? 最近、風邪が流行ってるし」
「そうじゃない、そうじゃないんだ七瀬」
 慎吾は首を振った。
「NANAなら、たとえ熱が40度以上あったとしても…絶対にやって来るはずだ」
「いくら姉さんでも、熱が40度あれば学校を休むと思うよ」
「それにライムだ。来なかったのがNANA1人なら病気かな? とも思う。
 けどライムまで来なかったんだぞ? ライムなら墓から這い出てでもやって来るはずだ」
「…慎吾君、ライムちゃんを何だと思ってるんだい?」
「とーにーかーくっ! あの2人がそろって迎えに来ないなんて、絶対におかしいっ!」
「たまにはそういう日もあるんじゃ…」
「ああ、たまにはそういう日があってもおかしくない。けどな…今日は、今日は絶対に来ると思ってたんだ」
「どうして?」
 七瀬はどうやら、本当に解っていないようだった。
 慎吾はガクリと肩を落として、他の誰かに聞こえないよう小声で言った。
「今日は2月14日、バレンタインなんだぞっ…!」
 ハッと目を見開き口を半開きにし、七瀬は顔を真っ青にした。
 事の異常性に、やっと気づく。
「た、確かにそうだよ…あの2人が、今日に限って休むはずがないし……」
「学園の中でチョコレートを渡すのは危険だって事くらい、あの2人は解ってるだろう…。
 だったら登校前の、あの時間なら…誰にも見られずにチョコレートを渡せるだろ?」
「う、うん…確かに」
「それをしなかったって事は…何か、あると思う」
「な、何か…って?」
「それは解らないけど…」
 あの2人が、バレンタインなんてイベントを見逃すはずがない。
 絶対に何らかの形でチョコレートを渡してくるはずだ。
 いったいどんな方法で、どんなチョコレートを渡してくるのか?
 鷹宰学園で禁止しているのは男女交際であって、チョコのやり取りではない…しかし、物事には限度がある。
 普通の義理チョコをポンッと渡されるところを教師に見られても、見逃してもらえるかもしれない。
 けれど…。
「慎吾君、物事を悪く考えすぎだよ。チョコレートをもらえるならもらえるで喜ばないと」
「…そうだな。出来れば教師や他の生徒に見つからないよう…あと、変に凝った渡し方をしてこなければ…」
「普通に渡してもらえれば大丈夫なんだし…」
「みんなっ! 大変だっ!!」
 ガラリと教室のドアが勢いよく開かれ、光が息切れを起こしながら飛び込んでくる。
「光、何かあったのか?」
「何かあったどころの騒ぎではない、大事件だっ!!」
 光の慌てっぷりに、慎吾と七瀬も会話を中断する。
 そして教室中の視線が一点に集まり、続く言葉を待つ。

 ――いったい、どんな大事件が起きたというのか?

「今年のバレンタインでは、チョコのやり取りを一切禁止するとの事だっ!!」
 みんなの反応は驚きではなく、戸惑い。
「最近、学園での学力がわずかに低下しているため…勉強に集中するよう、
 チョコレートのやり取りなんて浮ついた事をするヒマは無いとの事だっ!
 もしチョコを渡したり、受け取ったりしたら…停学確定だっ!!」
 光の報告に青ざめたのは、クラスの中に2人しかいなかった。
 なぜなら…。
「でもよ、それって俺達には関係無くないか?」
「だよなぁ、どうせチョコもらう当てなんてないし」
「校則のせいで普段から女子と仲良くしようとする奴自体少ねーし」
「まあ光は災難だよな、今年ももらう予定だったんだろ? ファンクラブの子からさ」
 という訳で、ほとんどの生徒は光の報告をたいして気にも留めず、教室はホームルーム前の和やかな空気を取り戻した。
 教室の一番後ろの、とある席を除いて。
「…七瀬」
「…慎吾君」
 2人は互いに顔を見合わせた。
 相手の引きつった顔を見て、自分も今こんな表情をしているんだろうなぁと思う。
 そして自分に想いを寄せる人物を思い浮かべる。
 普段から男女交際禁止という校則をもろともせず、抜け道を探して色々とアプローチしてくる彼女達の事だ。
 こんな事では絶対にあきらめないだろう。

 そしてホームルームにて、担任の弥生先生から改めてチョコレートの受け渡し禁止の旨を聞かされた。






 チョコを渡す側の女子は、バレンタイン前日にはもうチョコの受け渡し禁止だと教師から言われていた。
 そしてホームルームで念を押され、決してチョコを渡さないようにと注意を受けていた。
 その注意を受けながら、あくびを噛み殺す人影が2つ。
 NANAとライムだ。
「うぅ〜、登校中のあの時間が絶好のチャンスやった言うんに…」
「まさか、お寝坊しちゃうだなんて…」
 2人そろって、ふか〜いため息を吐き出した。
 前日、自分達の(家族が)持つ権力を利用して厨房を借りたまではよかったのだが…。
 つい調子に乗ってしまい、チョコレートが完成した時、時計の針は夜中の2時を回っていた。
「ねえライムちゃん、いつ渡そうか?」
「せやな…やっぱり放課後、校門で待ち伏せを…」
「そこの2人っ! ちゃんと話を聞きなさいっ!!」
 教師に怒鳴られ、2人は身をすくませる。
「す、すみません…」
 教師の目が細まり、2人を交互に見つめた。
 学園側にバレないよう気をつけてはいるものの、やはりこの2人の行動には教師陣も薄々勘付きつつあった。
 それでも傍観をしているのは、2人が成績優秀で家族が特別だからだ。
 かといって、2人を特別扱いし続ける訳にはいかない。
 もしNANAとライムがチョコレートを男子生徒に渡したら、その影響を受けて他の女子も同じ愚行を犯しかねない…。
「神崎さん、リーガンさん。あなた達は罰として、放課後教室の掃除をしてもらいます」
「ええぇーっ!?」
 放課後、掃除なんてしていたら…慎吾と七瀬の待ち伏せが出来ない。
「せ、先生。今日はちょっと、用事があって…」
「うちもや。今日はその…」
「納得のいく理由があるのなら、今この場で言ってごらんなさい」
 理由、それは。
(慎吾君に、バレンタインチョコを渡したいから…)
(七瀬君に、うちの想いがこもったチョコレートを食べさせて上げたいから…)
 言えるはずなかった。






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