ココロにリボンをかけて
化学室の片隅で、どんよりと曇った空気がただよっていた。
慎吾と、七瀬と、光である。
その不気味な空気を恐れ、誰も近寄ろうとしない…。
教師もなんだか気味が悪くて、授業中もその3人に当てる事はなかった。
そんな3人がやっと反応を起こしたのは、授業終了間近の一言。
「今日の授業で習った事は、次の試験で出すからな。各自復習をするように」
当然ノートなどとっていない。
当然授業など聞いちゃいない。
「今日は厄日か…?」
「厄日だな…」
「厄日かもね…」
光の言葉に、慎吾も七瀬も同意する。
空気はますます淀み、まるでそこだけ違う世界のようだった。
人間の不の感情が支配する、闇の空間。
そこに差し込む、一筋の光。
「あなた達、何を落ち込んでいるの?」
天使が舞い降りた瞬間だった。
「れ、澪ちゃんっ! ちょうどよかった、頼みたい事があるんだけど…」
慎吾の言葉をさえぎるように、澪は一冊のノートを3人の机に置いた。
「私のノート、貸して上げるわ。あなた達、授業を聞いてなかったでしょう?」
暗くよどんだ空気は、爽やかな春風で吹き飛ばされるかのように消え去った。
3人はノートを凝視し、込み上げる感動を抑えきれず顔をほころばせる。
そして背景がキラキラと輝くようかの勢いの笑みを、救世主に向けた。
「澪ちゃん…。やはり持つべきものは友達っ! 本っ当にありがとうっ!!」
「…ありがとうございます。須藤さんの優しさには感動しました」
「まさか君に助けられるとは…このお礼はいつか必ずさせてもらうよ」
さっきとは別の意味で不気味な彼等に、澪は思わず後ずさりしてしまった。
「よーし、寮に帰ったら3人で勉強会だな」
「ノートを汚したりしないよう、気をつけて使いますね」
「それでは今日は君達の部屋にお邪魔させてもらうとしよう」
そんなこんなで騒いでるうちに、教室に残っているのは4人だけになっていた。
「おっと、ボク達もそろそろ行かなくては」
「それじゃあ須藤さん。ノート、お借りしますね」
「次の特別授業で返すよ。じゃあまた――」
「あ、待って」
立ち去ろうとした3人を…いや、その中の1人を澪は呼び止めた。
「あ、あの…」
澪はなぜか頬を染め、周囲を注意深く見回している。
「澪ちゃん、どうかしたの?」
「えっと、その…」
七瀬と光もいぶかしげに彼女を見つめ…澪の表情が、何かを決意したかのように引き締まる。
「これ、上げるわ」
澪はポケットから包装紙に包まれた小さな箱を取り出すと、慎吾の手の中に押し込んだ。
「へ?」
「か、勘違いしないでよね。これは、義理なんですからっ」
「義理?」
「す、須藤さん…それってまさか」
「まさか橘に…」
「だから、勘違いしないっ!!」
普段から物静かな澪に怒鳴られ、七瀬と光は困惑してどう反応すればいいか解らなくなってしまった。
そして慎吾は、手の中の包みをそっと握りしめて…呆然と澪を見つめている。
「つ、次の授業に遅れるといけないから、もう行くわね」
そんな視線から逃げるように、澪は慌てて走り出した。
3人はその場に立ち尽くし、そろって小箱を見る。
「自由研究でペアを組んでから親しげだとは思っていたが…」
「慎吾君…チョコレートをもらって、やっぱり嬉しい?」
七瀬は不安そうに慎吾を見上げた。まるで怯えた仔犬のように…。
その表情の理由を、慎吾はすぐに悟った。
慎吾がNANAではなく、澪を選ぶのではないかと思っているのだ。
もし慎吾が澪を選んだとしても、きっと七瀬は祝福してくれるだろう。悲しみを含んだ笑顔で。
「な、何言ってんだよ2人とも。澪ちゃんも言ってただろ? これは義理っ! 義理チョコなのっ!!」
「それは解っているのだが…とにかく、そのチョコが見つからないよう気をつけたまえ」
「そうだね。もし先生に見つかったら…」
ガラリと化学室のドアが開く。
「なんだ、まだいたのか」
「せ、先生っ!?」
七瀬と光は慌てて慎吾の前に立って壁を作り、慎吾はポケットに小箱を突っ込んだ。
「まったく…忘れ物を取りに戻ってみたら。早く教室に戻らんと、次の授業に遅刻するぞ」
「そ、そうですね。橘、神崎君。そろそろ行くとしよう」
「う…うん。教室は遠いんだから急がないと」
「それじゃ先生、失礼しまーっす」
逃げるように教室から立ち去る途中、机に置きっぱなしだったノートを慌てて掴んだため、
大切に使うと言った直後だというのにもうしわを作ってしまった。
そして3人そろって、次の授業に遅刻をする事となる。