ココロにリボンをかけて
返事は無い。
振り向くと、真っ青な顔の七瀬が涙目で慎吾を見つめていた。
口からは白い息が小刻みに漏れている。2月の冬だというのに汗だくだ。
とても喋る余裕はなさそうに見える。そして、走る体力も。
七瀬は体育の授業を受けられないほど病弱なんだという事を、慎吾は改めて思い知らされた。
けれど立ち止まる訳にはいかない。
けれど走り続ける訳にはいかない。
だから慎吾は、一瞬だけ立ち止まった。
「七瀬…っ!」
掴んだ手を離し、七瀬の背中に回す。そしてもう一方の腕は、七瀬の膝裏に。
フンッと力を込め、慎吾は七瀬を抱き上げた。
お姫様抱っこだ。
幸い七瀬の体重は女性よりも軽い。
しかしそれでも、同い年の人間なのだ。
七瀬を抱いたまま逃げ切るなんて、出来るはずない。
それでも慎吾は、七瀬を抱いたまま走った。走るしかなかった。
「お…て。置い…て、逃げっ……」
「黙ってろ」
七瀬の懇願に逆らい、慎吾は抱きしめる腕に力を込める。
七瀬の耳に、慎吾の心臓の鼓動が届いた。
今にも破裂してしまいそうなほど早い。
涙が出た。
苦しいからじゃない。
嬉しいからだ。
慎吾の思いやりが胸に染み込んでくる。
優しくて頼りがいのあるルームメイト。
姉が愛してやまない魅力的な男性。
「慎吾…君っ……」
胸がよりいっそう強く締めつけられ、呼吸が出来ないほど苦しい。
これは、無理をして走ったから?
きっとそれだけじゃない。それだけじゃないと、七瀬は思った。
校舎の角を曲がった直後、慎吾はすぐ側に植えられている木々に目をつけた。
腰の高さほどしかないけれど、枝と葉が密集していて、目隠しとしてはうってつけだ。
木々の裏側に回り、そこに七瀬を寝かせる。
「じっとしてろよ」
そう囁いて、慎吾は再び走り出した。
少し遅れて七瀬のすぐ後ろ…木々の向こうで、誰かが走る足音。
「待たんかっ! これ以上逃げるようなら退学にするぞっ!」
本当に退学になるかどうかは解らないが、罰が重くなる事は間違いない。
七瀬は木陰から出て教師を止めようと思ったが、立ち上がる体力も声を出す気力も、すでに尽きていた。
(慎吾君…どうか、無事で……)
同じ言葉を姉が口にしていたと、七瀬が知るはずもなかった。