ドタバタ・バレンタインパニック in 男子棟

これは、神崎 七海、七瀬の二人が普通に鷹宰学園に通っているという、
もう一つの『恋愛CHU!』の物語──。
この世界では慎吾と七海、太陽と若菜がカップルとなっており、
ライムは七瀬を慕い追い掛け回している──楽しく、騒がしい日常が繰り広げられている。





「ドタバタ・バレンタインパニック in 男子棟」






「はぁ…」
「ふぅ…」
2月14日の昼休み。
生徒たちのテンションがもっとも高くなった
教室のあちらこちらから、大きなため息が聞こえてくる。
それもそのはず、今日はバレンタインデーなのだ。
本来ならばチョコの一つや二つを
男の子に渡す女の子の姿が見受けられるはずなのだが…。
「こんなときほど、男女交際禁止の校則を恨めしく思うことはねえよなぁ」
クラスメートの一人が、頭の後ろで手を組みながら、
他の気の合う連中数人とぼやきあっている。
そこから少し離れたところで、
慎吾、七瀬、太陽、光のいつもの4人が楽しそうに、
しかし他のクラスメートに聞こえないよう、声を潜めて話を始める。
「なぁ光、七瀬。お前ら、何個もらったんだよ?」
「うむ、僕はざっと20個くらいかな。
当然、直接手渡されることはなく、下駄箱に入っていたわけだが」
「ボクは、30くらいだったよ。もちろん下駄箱に。
持ちきれないから、かばんを1度空にして、その中に入れて…。
朝から大変だったんだから」
七瀬の方が数が多かったのが悔しいのか、光が一瞬ムッとする。
この、男女交際禁止の鷹宰学園で、1,2を争う美少年とあって、
二人にはファンの女の子が多い。
特に光はファンクラブまで作られており、
自身もそこにクラブ活動の籍を置いているくらいだ。
一方七瀬はというと、その女の子のような可愛らしい容姿のおかげで
男女問わず人気があり、特にライム・リーガンからは
熱烈なアタックを受けている。
そのライムがすごすぎて、他の女子は七瀬に
迂闊に接近できずにいるのだ。
ただ、男女交際禁止の校則があるから、というのも
理由の一つでもあるのだが。
「ま、まぁ、この後ファンクラブの女子達からも
もらえるだろうから、合計すれば30を超えるだろうな」
「負けず嫌いだな。別に、チョコの数が多かろうと少なかろうと、
俺たちには関係ないだろ?」
「え、どうして?ボクは甘いのが好きだから、
沢山食べれて嬉しいんだけどな」
「はは、七瀬らしいな。
ま、女の子の愛情たっぷりだから、
おいしくてあま〜いってのは間違いじゃないけど…
やっぱ、本命から貰えると一番嬉しいんだよ、なぁ太陽」
慎吾は、より一層声を潜め、
ニヤニヤと笑いながら太陽へと目を向ける。





「そうそう、本命からのがあればそれだけでいいんだよ」
「そ、俺、もうNANAからもらったからさ。
他にはいらねんだよ」
「俺は若菜ちゃんからもらったし。
七瀬も、ライムちゃんからもらったろ?」
「ぼ、ボクは別にライムちゃんとは…。
でも、うん、ライムちゃんからももらったよ。
大きくて、ちょっと重いけどね」
頬を朱に染め俯きながら、七瀬は慎吾たちから目を背ける。
本人の言うとおり、七瀬とライムは付き合っているわけではない。
ただ、ライムが七瀬を可愛いと気に入っていて、
必要以上に追い掛け回しているだけなのだ。
ウブな七瀬にとって、体をすり寄せたり抱きついてきたり、
あまつさえキスまで迫ってくるライムは、正直苦手な相手なのだ。
まぁ、かと言って、嫌っているというわけでもないのだが。
「しかし、ほんと本命からのチョコってのは嬉しいよなぁ、慎吾。
若菜ちゃん、すっげえ可愛かったんだぜ。
『ちょ、チョコレート、受け取ってもらえますか?』って、モジモジしながらよぉ〜。
でもって俺が開けようとしたらさ、ギュッと俺の袖を引っ張りながら、
『あ、そのチョコ手作りで…は、恥ずかしいから、私のいないところで…』だって。
もう、照れ屋なところが初々しいったらないよな〜」
太陽の彼女自慢を聞きながら、光は不機嫌そうな顔をする。
実は太陽と若菜は、ほんの1ヶ月ほど前の1月2日、つまり若菜の誕生日に
付き合い始めたばかりなのだ。
というのも、若菜の誕生日パーティーで、
こともあろうに若菜の方から太陽にキスしたのだ。
普段から自分に好意をもって接してくれ、
自分を楽しませて、男の子への恐怖感を取り除こうとしてくれた太陽に、
いつの間にか若菜自身も好意を持っていたことに気付いたからだ。
もちろんその場には若菜が以前好意を持っていた慎吾や、
七瀬に光、そしてこの教室にはいないNANAや美月、澪、ライムもいた。
だからこそ、光は不満を隠せないでいる。
自分はまだ女の子とキスをしたことがないのに。
それなのに、なぜ自分より美しくない、汗臭い太陽が女の子と付き合えるのだ。
なぜ、キスされるほど好かれているのだ、と。
「へ〜、若菜ちゃんらしくて可愛いじゃないか。
ま、NANAの方が可愛いけど。
聞かせてやろうか?チョコをくれたときのNANAの可愛さを」
NANAの実の弟である七瀬や、
傷心の光の心境などおかまいなしに、慎吾は話を始めた。






「朝、通学中にいきなり抱きついてきてさ。
でもって、嬉しそうにチョコを渡してくるんだよ。
若菜ちゃんとは正反対で、
『ねぇ、早く開けて食べてみて!私の手作りで、自信作なんだから!』ってさ。
俺が開けて、『おいしそうだな』って言ったら、ニッコリ笑って。
でもって食べて、『おいしいな、さすがNANAだ』って言ったら、
そりゃあもう嬉しそうに微笑んでくれて。
『はい、あ〜んして』とか言ってくる始末だ。
思わず、抱きしめそうになっちまったよ」
「ね、姉さん、そんな恥ずかしいことを?」
「な〜に言ってんだよ、可愛くていいじゃねぇか。
なんだったら、七瀬もNANAに、あ〜んってやってもらったらどうだ?
あ、お前の場合はライムにしてもらうんだっけ?」
「そ、そんなこと、してもらえないよ…恥ずかしい。
ねぇ、二人もそう思───うわっ!?」
七瀬が光と太陽へ目線を向けると、
そこには、いかにも不満そうな光と、涙を流している太陽の顔があった。
「俺も…俺も若菜ちゃんに、『あ〜んして』って言ってもらいたい!!
でもって、『あっ、口のまわりにチョコがついてるよ。取ってあ・げ・る
とか何とか言われて〜〜!!
慎吾、お前って奴は…お前って奴はっ…なんて幸せものなんだ〜!!」
「いや、そこまで言われてないが…ま、可愛い彼女がいるってのは
なんとも幸せなもんだよ──あ、光坊ちゃんにはいないんだっけ?」
「ふ、ふん…僕的には、チョコは質より量なのだ。
なにせ、どれだけ大勢の女子に好かれているかのバロメーターになるのだからな」
「へへっ、負け惜しみにしか聞こえないな〜」
「そうそう、太陽の言うとおり。
どんなに多くもらってても、本命の彼女がいないんじゃなぁ?」
嫌味そうな笑みを浮かべる慎吾と太陽に、
光はムスッとした表情を見せる。
確かに彼女はいないし、
『チョコは質より量』というのもただの負け惜しみでしかない。
しかし、このまま二人に負けることを光のプライドが許すはずもなく、
何か返す言葉がないかと、目を教室の天井へと泳がせる。
すると、光の脳内にある豆電球がピカッと光り、
この騒々しい二人組を黙らせる言葉が浮かんできた。





「フッ…何を誤解しているのやら。
僕の美しさは世界中の婦女子のために存在しているのだよ。
それに、その気になれば、慕ってくれている数多くの女の子達の中から
恋人を選ぶことだって出来るのだよ。
それも、気に入らなければ次、さらにその次と、
まさによりどりみどりだ。
わかるか?一人しかいない君たちよりも、
僕のほうが沢山、本命がいるのだよ」
「うぐっ!!」
「う、うぐぅ…な、なんて的を射た言葉…。
た、確かに俺も太陽も一人しかいない…それに引き換え、
光も七瀬も多くの女の子にモテてる…うまくいけば、
二股三股四股やり放題だ…」
光の『よりどりみどり』という大胆発言と、
それを真に受けて落ち込む二人をみて、
七瀬は小さな口をポカンと開いたままだ。
「ふん、僕のすごさがようやく理解できたようだな」
落ち込む二人をみて光は満足したらしく、
椅子の背もたれにもたれかかって尊大な態度をとる。
「なぁなぁ、お前らはチョコもらったのか?
伊集院と神崎なら、沢山もらったんだろうな〜」
そこに、隣のクラスである勅使河原が近づいてきた。





「フッ、まぁ、もらってないと言えばうそになるが…
そんなたいした数はもらっていないさ」
そう言いながら、光は机の横にぶら下げていた
手提げカバンのファスナーを開き、
山のようなチョコを見せびらかし始める。
「す、すげぇチョコの山じゃねぇか!!」
「ふっ…それほどでもあるかな」
「うらやましいなぁ、二人ともモテモテだもんな…
俺なんて、生まれてこの方、一度も女の子からチョコなんて
もらったことがないんだぜ?
せめて気分だけでも味わいたいよ」
勅使河原の落ち込んだ顔を見ながら、
慎吾と太陽、光は勝ち誇った顔をし、
七瀬は苦笑いを浮かべる。
「うらやましいだなんて、そんなことないよ。
だって、多すぎても食べきれないし、
虫歯にだってなっちゃうし…
一概に多いほうがいいってことはないと思うよ。
慎吾くんや太陽くんが言ってたけど、
やっぱり量より質だと思うんだ」
「ぐっ…笑顔で、何気に突き刺さること言ってくれるじゃねぇか。
多すぎて食べきれないだとか、虫歯になっちゃうだなんてさ。
もしかして、自慢してるのかよ…?」
勅使河原の恨めしそうな目線に、
七瀬は首をブンブンと横に振ってみせる。
もちろん、嫌味のつもりもないし、自慢のつもりもない。
ただ、『量より質』だと言いたいだけなのだが、
今の勅使河原には何を言っても無駄っぽい。
「はぁ、せめて…せめて気分だけでも味わいたい…
けど、この学園じゃあなぁ…そ、そうだ!!
神崎、お前、鷹宰祭のときみたく、女装してくれよ!!
でもって俺達恵まれない男子生徒に、チョコを配ってまわってくれい!!
あ、チョコならこっちで用意してるからさ。
結構多いんだぜ、モテナイのを隠すためのカモフラージュ用、
いわゆる『ダミーチョコ』を持ってる連中」
突然の、しかも一気にまくし立てる勅使河原の強い口調に
圧倒される七瀬。
その勅使河原の眼差しは、真っ直ぐに
七瀬の大きな瞳を見据え、
どう説得しても揺るがないことが簡単に見て取れる。
「なぁみんな、俺と同じ気持ちだよな!?
神崎には、女子棟に双子の可愛い姉がいて、
しかも神崎はその姉に瓜二つ!!
ということは、女装すればかなり可愛くなる!!
そのことはすでに去年のミス・ミスター鷹宰で証明されている!!
ここは一つ、神崎に女装してもらい、
チョコを渡される気分だけでも味わおうじゃないか!!!」
教室中に響き渡る大声で勅使河原が吼える。
その直後、勅使河原の意見に賛同した男子生徒たちが
負けじと雄たけびを上げ始めた。
「いいこと言うぜ、勅使河原!」
「おお、賛成だ、激しく賛成だ!!」
「うおおおお〜〜〜〜〜!!ついに、女の子からチョコを貰える喜びを…!!」
「え、ええ〜〜〜!?ど、どうしよう…!?」
拳を天高く振り上げ喜ぶ男子生徒たちを前に、
七瀬は困惑の色を隠せないでいる。
「じょ・そ・う!!じょ・そ・う!!じょ・そ・う!!!じょ・そ・う!!!!」
湧き上がる女装コールに、七瀬の頬は紅潮していく。
恐らく、前回の鷹宰祭で行われた『ミス・ミスター鷹宰』に
太陽と一緒に参加し、拍手喝采を受け、
さらに優勝した時の恥ずかしさがこみ上げてきたのだろう。
そして、太陽も七瀬の隣でしきりに頷いている。
審査員特別賞をもらったときの感動がこみ上げているのかもしれない。
「あ、それ、女装!!女装!!じょ・そ・う〜〜〜!!」
「う、ううぅ…そ、そんなぁ…」
「あ、悪い、俺、ちょっと便所」
ふと、太陽が何かを思いついたかのように席を立った。
「おい、橘」
「ああ…七瀬、俺たちも出よう」
「え、どうして?」
太陽の妙に真剣な、何かを覚悟したような面持ちに、
慎吾と光は嫌な感覚を覚え、七瀬に外に出るように促す。
「お、もしかして女装か!?」
「よっしゃ〜、これでバレンタインの雰囲気を味わえるぜ〜」
はしゃぐ勅使河原たちを尻目に、慎吾たちは教室の外へと出て行った。






「ねぇ。どうしてボクたちも出たのさ?ボク、女装はもうイヤだよ?」
「ん?ああ…もうしばらくしたらわかるさ」
「フッ、さすがの橘も気付いたようだな」
「あたりまえだろ、あの状況で気付かないほうがどうかしてるって」
「?」
慎吾と光のやりとりに、七瀬は小首をかしげ、
頭の上に『?』を浮かべる。
どうやら七瀬は、慎吾の言う『どうかしてる』人間にあたるらしい。
まぁ、七瀬の場合は穏やかというか、
あるいは世間の穢れた部分を知らない性格だから
やむをえないのかもしれないが。
「っと…ほら、来たぜ」
「うむ、やはり思ったとおりだ。ほら、きみも見たまえ」
廊下の曲がり角から、ジッと教室の様子を伺っていた慎吾たちが、
七瀬にも『それ』を見るように勧める。
「う、うん───え、ええ〜〜〜!?」





進む