折れる心 折れない心


「折れる心 折れない心」






「久しぶりに帰ってきたと思ったら、
いきなり部屋に乗り込んでくるなんて、どういうつもり?
昔は、苛められるからって近寄りもしなかったのに。」
「ああ、急に来てごめん。それよりさ…姉貴、俺、もっと強くなりたいんだ。」
久しぶりに実家に帰ってきたと思ったら、
まっすぐ私の部屋へ入り込んできて、
そのままジッと私の目を正面から見据えてくる慎吾。
その瞳も声も、態度さえもまっすぐで、堂々としてて、一点の曇りもにごりもない。
いつからこんなにも大きく成長したんだろう?
ほんの一ヶ月ほど前までは──『彼女』が慎吾の前からいなくなる前までは、
まだまだ子供で、あたしや母さんには頭があがらない『ひよっ子』だったのに。
「強くなりたいって…この間言ってた、七海ちゃんのため?」
「ああ。」
神崎 七海ちゃん。
鷹宰に編入してきた女の子。
しかも、男装までして、慎吾のそばにいて。
実家には、古めかしい言い伝えがあって。
それを守るために七海ちゃんは家の離れに閉じ込められ、
そして…紆余曲折を経て、体の弱い双子の弟に肺を譲り、
そのせいで彼女は今、死んでいることになってしまった。
もちろん慎吾は彼女が死んだだなんて、信じていないんだけど。
「俺、NANAを見つけたい。
そして、今度こそ護ってやりたいんだ。
ずっとずっと傍にいて、幸せにしてやりたい。
今までの分まで、いろんな所に行って、沢山のことに触れて…
この広い広い世界のあらゆるものを、体験して…
そして、生きていることの素晴らしさを知ることが出来るように。
そのために、俺は強くならなくちゃいけないんだ。
NANAの標(しるべ)になりたいから。
かごの中の鳥───鎖で繋がれた子猫であるNANAを導く、標になりたいから。」
この子、本気だ…。
今まで感じたことのない気迫を、ひしひしと感じる。
「強く、強く、強く…そう、俺はもっともっと、強くなりたい。」
慎吾の言葉に、私はやや茶色がかった、自慢の長い髪を
指先でグルグルいじり始める。
慎吾を苛めるときに──もとい、『試す』時に出る、悪いクセ。
けど、慎吾自身は私のそんなクセには微塵も気付いていない。
「ねぇ、あんたが強くなりたいのって…
七海ちゃんと一緒に神崎家から逃げるためなんじゃないの?」
「なっ!?」
「あるいは──そうね、七海ちゃんが死んでることに薄々感づき始めた
自分を必死で否定するため、とか?」
私の言葉に、慎吾は黙り込んでしまった。
さぁ、どんな答えを返してくるのかしら?
「………姉貴の言うとおりかもしれない。」
「ふ〜ん…。」
残念。
まさか、こうもあっけなく自分の信念を折るなんてね。
弟だからって、ちょっと買いかぶりすぎだったかな?
普段流されてるばかりだけど、いざというときは
もっと強くなれる子だと思ってたのに。
さっき感じた強さは所詮、ウワベだけの強さだったのかしら?
「けど…だからこそ、俺は強くなりたい。
NANAが死んじまってるんじゃないかと思う自分に打ち克つために。
そして、さっき言ったように、二人で生きていくという夢を、希望を勝ち取るために。
だから、姉貴が何と言おうと俺は途中で諦めるような真似はしたくない。
絶対あきらめない、絶対大丈夫だと信じているから。」
強い。
慎吾はもう、十分強くなっている。
恐らく、自分では気付いてないんだろうけど…慎吾は、強くなっている。
さっきの気迫…どうやら、ウワベだけじゃないようね。
「ん、そうだね。あんた、もう十分強いよ。
強い想い、強い気持ち、強い愛。
それらは強い言葉を生み出す。
強い言葉には力が宿り、それは言葉を発したものに本当の強さを与える。
だから、あんたは十分強くなった。」
「強い…言葉?」
「そ、『絶対あきらめない』『絶対大丈夫』。それらは正の言葉──
夢を、希望を、強い力を与える言葉。
あんた、さっき言ったでしょ?『NANAはかごの中の鳥、鎖で繋がれた子猫』って。
けど、大丈夫よ。
両方七海ちゃんが言った言葉なんでしょ?
強い言葉は、大空を舞うための翼になる。
大地を踏みしめ、駆け抜けるための足となる。
七海ちゃんがその二つの言葉を持ってる限り、
『かごの中の鳥』でもなければ、『鎖で繋がれた子猫』でもない。」
私の言葉に、慎吾は笑みをこぼした。







フゥ…。
七瀬がいる病室の前で、大きくため息をつく。
手術から一ヶ月。
いまだにリハビリも行わず、ずっと病室に篭りっきり。
けど、今日こそは…。
私は意を決し、重いドアをノックした。
コンコン、と軽い音が響き、
それに続いて中から可愛い甥の声が聞こえてくる。
「はい、どちら様ですか?」
「私よ、温子。」
「あ、どうぞ。」
その言葉に従い、私はドアをゆっくりと開く。
神崎家の力を使い、特別に個室を与えられ、
病室の中でも私服でいられるようになった七瀬。
けど、今は水色のゆったりとしたパジャマを着ている。
まだ胸を締め付けないように、肺に負担をかけないようにという
私の提案に素直に従い、胸元を全開にしている。
なんだかちょっぴりセクシーな感じがするけど…。
そのせいか、看護婦さんたちは我先にと
七瀬の身の回りの世話をしようとしてくれたり、
ここに勤めている『相良』という名前の男の先生がやたらと
七瀬の診察をしたがるけど…大丈夫かしら、この病院。
「こんにちは、温子おばさん。」
七瀬が、ニッコリと微笑みかけてくれる。
二卵性とはいえ、その笑顔があまりにも七海にそっくりで、
どうしても思い出してしまう。
手術室に入る前にみせた、儚げな笑顔を。
けど、ここにいるのは弟の七瀬…。
「ええ、こんにちは七瀬。
元気そうで何よりだわ。
ところで…その、リハビリなんだけど──」
そこまで言ったところで、七瀬の表情がフッと曇るのが見えた。
やっぱり、まだダメなのかしら?
「ごめんなさい、温子おばさん。
ボク、リハビリはまだ…。」
「どうして?
早くしないと、後で困るのは自分なのよ?」
「うん…温子おばさんは自分の家庭よりも優先して
ボクの心配をしてくれてるし、
学校に行ってるときも気遣ってくれて。
それに、入院してるときにもしょっちゅうお見舞いに来てくれて・・・
だからすごく嬉しいと思うし、そのことに関してはとても感謝している。
けれど…そのおばさんのお願いでも、
リハビリだけはまだ、出来ないんだ。」
本当に申し訳なさそうな、悲しい瞳。
こんなにも頑なにリハビリを拒む理由…それを、私は七瀬から何度も聞かされてきた。
それは、他でもない神崎家のこと。
けど、なんとかリハビリをしてもらわないと。
「ねぇ、七瀬。リハビリをしないと、体は弱る一方よ?
そうなってしまったら、外に出て自由に歩くことすら──」
「リハビリをしたとしても、結局ボクは自由にはなれないですよ。
あくまで、『神崎家の後継者』以外の何者でもないんだ。
もう、あの冷たく、暗く、重い家には戻りたくないんです。
あの家に戻ると、もう出ることが出来ない…
ボクは、かごの中の鳥──そして、鎖で繋がれた子犬なんです。
神崎家という名のかご、後継者という名の鎖が、ボクを締め付けてくるんです…。」







「そうだよな、NANAは…自由だったんだよな。
だって、あきらめなかったから。」
「そ。でもって、あんたに会って、楽しい毎日を過ごした。
自力で『かご』から脱し、『鎖』を引きちぎり…自由を得た。
愛しい人、楽しい友人たちと共に、世界を知った。
でもって、あんたに身も心も捧げたのよね。
清らかな乙女だった七海ちゃんを、その汚らわしいモノで貫いて──」
「あ、姉貴っっ!!!」
慎吾がムキになってテーブルを叩く。
いやぁ、やっぱからかうと面白いわ、コレ♪
毎日のように『気持ちいいこと』しておきながら、
何をいまさら照れているのか、顔を真っ赤にしちゃってまぁ可愛いこと。
「あはは、ごめんごめん。
けどさ…実際、『そういうこと』も含めて、
あんたに出会ったからこそ、七海ちゃんは自由になれたし、
その身をもっていろんなことを感じることができたんだよね?」
「そ、そうだろうけどさ。
……い、いろんなことを感じてって、やましい意味じゃねぇだろうな!?」
「あら、七海ちゃんが感じちゃうようなことばっかしてたの?」
「あ、姉貴っ!!」
「わ〜かってるって♪
そんなことより。それもこれも、要は諦めなかったから。
心の強さが言葉に宿り、そしてそれが七海ちゃんに
真の強さを与えたから。」
私の言葉に、慎吾は素直に頷く。
慎吾自身もよく理解しているのだろう、どこか嬉しそうだ。
「心の強さ、か。
姉貴さっき言ってたよな?
強い気持ちが強い言葉を、そしてそれが本当の強さを生むって。」
「うん、言ったよ。」
「俺が、十分強くなったとも言ったよな?」
「そう、言った。」
「そっか…俺、ちょっとは強くなってたのか。」
慎吾は、しきりに頷く。
やっぱ、男の子だねぇ〜。
強さを求める、だなんて…まぁ、状況が状況だけに
それもやむを得ないというか、求めて当然と言うか。
「そうだね、あんたは強くなった。
けど、それもこれも、七海ちゃんがいてくれたからだよ。
だから、あんたは決して───」
「ああ、わかってる。
俺は、決してあきらめちゃダメなんだ!!」






「ボクは──あきらめるしかないのかもしれない。」
「七瀬?」
ふいに漏らした七瀬の言葉に、私はつい聞き返してしまう。
「ボクは、神崎家から逃れられない。
だって、一人っ子だから。
ボクしか、神崎を継ぐものがいないから…。」
違う…あなたは一人っ子じゃないのよ。
本当は、とても素敵なお姉さんがいるのよ。
きっと、あなたをとても可愛がってくれるお姉さんが。
けど今はそれをあなたに伝えることすら出来ないの。
ごめんなさい、七瀬…七海。
「で、でも、だからってあきらめることはないんじゃ──」
私の言葉を遮り、七瀬が首を横に振る。
「ボクには、神崎を継ぐことしか出来ないんだ。
だって、こんな弱い体じゃ、何もできやしない。」
そう言って七瀬は、開かれていた胸元をさらに開き、
その薄く、白い胸を私に見せてくる。
そこには、まだまだ消えそうにないほどに深い傷跡が覗いていた。
手術の痕──。
自分の体の弱さの象徴であり、
同時に双子の姉である七海との現時点での唯一の接点でもある。
「せめてボクに兄弟がいれば…。」
えっ!?
も、もしかしてこのコ、知っているの!?
自分に姉がいることを、知っているというの?
「ど、どうしたんですか?そんな険しい顔して。」
「あ、いえ…なんでもないの。」
七瀬は不思議そうな顔をしながら、小首を傾げてみせる。
その仕草が、七海が橘 慎吾さんに会う前に
鏡の前でとっていた仕草に似ていて、
思わず涙が出そうになってしまう。
「…弟、あるいは妹でもいいかもしれない。
仲良く話をしたり、遊んだりできる兄弟。
あ、けど・・・それなら、結局長男のボクが継がなくちゃダメなのか…。
だったらお兄さん…は、弱いボクを苛めてきそうだし。」
やっぱり、七海のことは気付いていないのね。
誰も話してないから、知ってる方がおかしいのだけど。
「だったら…お姉さんがいい。」
「えっ、おねえ…さん?」
「ん、優しくて、温かくて、体の小さい、弱いボクを
いつも見守ってくれて。
そして、ボクが護ってあげたくなるような、
それと同時に心を癒してくれるような、純粋さを持っていて…
いつも笑顔を向けてくれる、そんな可愛い人。
そんな人がお姉さんだったら…ボクも少しはがんばれたかもしれない。
時にソッと抱きしめて『大丈夫よ』と慰めてくれ、
時に眉をつりあげて叱咤激励してくれる、そんな人が姉さんだったら…。
けど、それでもボクが神崎家を継ぐことに変わりないんだけどね。」
そう言って、七瀬は小さな舌をぺロッと出して苦笑いを浮かべる。
言いたい…本当のことを、この子に伝えたい。
あなたが望んでいる人は、確かに存在するのだと。
あなたが望んでいる人が、あなたに体の一部を託してくれたのだと。
それは、あなたにあきらめて欲しいからではなく、
あなたにもっと前向きに生きて欲しいからなのだと。
そして、あなたのお姉さんは今もなお、
あきらめずにがんばっているのだと…。
ああ…今の七瀬の言葉を聞いたら、
七海はどんなに喜ぶことでしょう。
自分を必要としてくれている、ただそれだけで、
あの子の心がどんなに癒されるか…。
「けど…どう願っても、ボクは一人っ子で、
ボクしか神崎を継ぐものはいなくて…。
だから、ボクは────すべてをあきらめる。」








「慎吾、その心がけは立派だけどね。
いくら強い心を持っていようと、
どんなに彼女を愛していようとも、
口で言うほど『あきらめない』のは簡単じゃないんだよ?」
私は、嬉しそうににやける慎吾に少しきつめに言ってみせる。
自信を持つのはいいことだけど、あんまり調子に乗るのも困りものだから。
「大丈夫だよ姉貴。
NANAは自分の命を──今後の人生を懸けてまで俺に会いに来てくれた。
俺に、『あきらめない強さ』を示してくれた。
だから、絶対に大丈夫だよ。
知ってるか?『諦め』って漢字は『帝の言の葉』って書くんだ。
絶対的な権力を持つ皇帝の言葉には逆らえない、
だから諦めるしかないってことなんだと思う。」
慎吾の言葉に、私は軽く頷いてみせる。
確かに、漢字の意味合いからすれば、その通りだと思うから。
実際の成り立ちは違うかもしれないけどね。
けど、それが一体───
「けどな、『諦めない』もまた、同じ漢字を使うだろ?
当然だけど、後に続く言葉が肯定か、否定か。
違いはそれだけなんだ。
絶対的な権力に従えば諦め、従わず逆らい続ければ諦めない。
何を言ってるんだって思うかもしれないけど…
けど、俺は『神崎家』という名の権力には従わない、抗い続ける。
心を強く持てば、決して諦めない強さを手にすることが出来るんだから。」
慎吾の目には、怒りの炎がメラメラと燃えている。
そっか、諦めない根底には、神崎家への怒りもあるんだ。
『愛』と『怒り』と…いろんな感情が入り混じり、
それらが慎吾を強くしてるんだね。
「わかった、けど一ついいかな。
漢字つながりだけど…あんた、自分の名前の由来は知ってる?」
「は?名前の由来?いや、知らねぇけど?」
「そっか…あのね、父さんは昔、結構色々あってさ。
それで、両親──私達のお祖父さんとお祖母さんだけど、
二人には随分と心配かけたんだって。」
慎吾は、それがどうしたといった顔で私を見てくる。
ま、いきなり父さんたちの話に飛んだんだから無理もないけど。
「でね、あんたにはそんな子にはなって欲しくない、
自分と同じことをして欲しくないって思って、
あんたに『慎吾』って名前を与えたらしいよ。」
「慎吾ってのが、そんな名前なのか?
どこにでも転がってそうだけどな。」
「うん、そうだけど…あんたの名前は慎吾、
つまり『吾(われ)、慎(つつし)む』なのよ。」
「われ…つつしむ?」
「そう。身を慎む、言動を慎む。
自分で抑制して、あまり無茶をしないようにって、願いが込められてるってわけ。」
私の言葉に、慎吾は下を向いて何事か考え始める。
父さんたちの気持ち、少しは通じたのかしら?
「─────わかった、あんまり無茶はしないよ。
ただ…NANAを見つけるのが、今の俺のすべてだから。
だから、その辺は許してくれよな。」
「うん、わかってる。
ねぇ…あんた、ほんとに変わったよね。
今のあんたは、私なんかよりよっぽど強い。」
「そっかな?姉貴の方が、ずっと強いだろ。」
「そんなことないよ。
あんたは七海ちゃんに会って手に入れた。
決して折れない鋼の心、決して揺るがない不屈の信念、
決して惑わない真摯な瞳。
それらは、慎吾の強い心が、強い言葉が生み出した、
あんたの強さだから…あんたは、私なんかよりよっぽど強いよ。
諦めない強さがある限り、ね。」
私の言葉を聴いて、慎吾はニコッと微笑みかけてくる。
うん、慎吾はもう十分強い。
これならもう、大丈夫ね。
きっとこの子は七海ちゃんを見つけ出す。
『夢、希望、真実と可能性──
それらは須く、自分の足で前に進んでこそ手に入るものだ。』
私が好きな言葉。
というより、自分で考えた言葉なんだけどね。
慎吾と七海ちゃんは、自分の足で前に進んだ。
決して折れない強い心と共に。
だからこそ、二人はきっとそれらを手に入れるだろう。
そう、折れない心こそが、すべてを導く──。





「そんな…どうしてそんなことを言うの!?」
「あ、温子叔母さん?」
七瀬の戸惑った瞳に、我に返る。
私ったら、大声を出して七瀬を驚かせてしまうだなんて…。
でも、このコにはあきらめて欲しくない。
だって、このコの姉は──七海は、決してあきらめなかった。
だからこそ、最愛の人、橘 慎吾さんに出会えたのだから。
束の間とはいえ、夢を叶え、希望を掴み取った。
神崎家の双子の話という真実を知りながらも、
自分の可能性を探し、そして今もなお、未来を夢見ているというのに。
その弟の七瀬がすべてをあきらめてしまうだなんて。
「温子叔母さん、どうかしたんですか?」
七瀬が、上目遣いに私を見上げてくる。
私…そんなに変な顔をしているのかしら?
「だって………涙、流してるから。」
言われて、初めて気付いた。
ソッと触れた頬には、次から次へと涙がこぼれてきている。
どうして、こんな…やっぱり、七海のことを想ってしまったから?
けど言えない、あなたのお姉さんのことを考えていたからよ、だなんて。
「だって、あなたが『あきらめる』だなんて言うから。」
「そんな…温子叔母さんが泣くことじゃないですよ。
ただ、ボクがあきらめるだけなんですから。
──知ってますか?『あきらめる』は、漢字だと『諦める』
つまり、『帝の言葉』って書くんですよ。
絶対的な存在である『皇帝の命令』には誰も逆らえない。
ボクが神崎家の当主である父には逆らえないのと同じなんです。
だから、ボクは諦めるしかないんですよ。」
七瀬は、目を足にかけている布団へと落とす。
確かに、漢字はその二つから成っているけれど、
だからといってそんな悪い風にとらなくても…。
今の言葉を七海が聞いたら、どう思うかしら。
本来ならば災いを招く存在として葬られていた七海。
だけど、『七海』という立派な名前を──双子の弟と対になる、
この世に生を受けた証拠を与えられた。
そして、父親に逆らい、1ヶ月だけの自由を手に入れて。
そんな諦めなかった七海が、諦めようとしている弟を見たら、
どんなに…どんなに悲しむことか。
私は思わず、七瀬の小さな体をギュッと抱きしめる。
「あ、温子…おばさん?」
「ねぇ七瀬、諦めないで。」
「えっ?」
ジッと、七瀬の大きな瞳を正面から見据える。
その七瀬の顔が、少し朱に染まっていくのがわかる。
もしかしたら、抱きしめられて照れてるのかもしれない。
まだまだ幼いというか、子供っぽいというか…
けど、そんなこのコの中に、神崎家が黒い影を落としているのね。
「体が弱くても、リハビリをすればきっと良くなるわ。
今はまだ当主の言いなりでも、いずれは逆らえる、
あなたの思うような神崎家に変えていけるから。
だから、諦めないで頂戴。」
黒い影を払うかのように、ゆっくりと話しかける。
「温子叔母さん…ごめんなさい、ボクは、ダメなんです。
あそこには戻りたくない、リハビリもする気にはなれないんです。」
「そんな…そんな悲しいことを言わないで頂戴。
あなたがそんなことを言ったら、あのコが──」
「あのコ?」
「い、いえ…何でもないわ。」
「?」
七瀬は、キョトンとした表情で私を見上げてくる。
何も知らない──何も知らされていない、無垢な顔で。
こんなところは、七海にそっくりなのに。
なのに、肝心なところは、まるで正反対なのね。
決して諦めなかった七海。
まっすぐ前を向いて、必死に手を伸ばして。
強い心を持ち、『諦めない』という強い言葉を、信念を手に入れた。
それなのに、七瀬は…
簡単に諦めてしまった。
このコの心は、まるで…ガラスの心。
壊れやすく、折れやすく…砕けてしまえば、もう2度と元には戻らない。
「お願い、お願いだから、諦めないで。
あなたも、持って頂戴。
決して折れることのない、鋼の心を。
決して揺らぐことのない、不屈の信念を。
そして、決して惑うことのない、真摯な瞳を。
そうすれば、きっとあなたはもっともっと強くなれるから。
諦めない強さを持つことができるから。
お願い、お願いよ、どうか───」
───どうか、七海の眠ってしまっている時間を無駄にしないで。
七海の心を、どうかわかってあげて、受け継いであげて。
どうか──ガラスの心を、鋼に変えて。
折れる心は、何も生み出さないの。
何かを生み出すのは、決して折れない心だけ。
そう、折れない心こそが、すべてを導くのだから──。






END