紫苑






 宴を繰り広げるため校長室へ向かう途中の廊下で、彼はふいに立ち止まった。
「NANA、何を怯えている?」
 それは心配というより、不審に思っての言葉。
 興味が無いように見えて、しっかり私の事を見てくれていたんだと思うと、嬉しかった。
 私の様子が変だと気づいてくれた。
「何でもありません」
 けれど私はそう答えた。
 私の心に渦巻く恐怖も不安も、彼には決して伝えたりしない。
 伝えたら壊れてしまうかもしれないから。
「フンッ…。まだ美月の事を気にしてるのか?」
「いえ…」
「なんだったら、今から犯しに戻ってもいいぞ…」
「あなたがそう望むのなら、私はかまいません」
「…まあ、いい」
 彼は止めていた足を、再び動かし出す。
 彼はつねに自分のペースで歩くから、歩幅が大きい分私達より歩くのが速い。
 だから置いていかれないよう、私とライムちゃんは歩調を早める。
「美月も馬鹿じゃない…。また俺に刃向かえばどうなるか、身を持って理解したさ…。
 もし姉貴にチクったとしても、姉貴の性格からしてすぐ親父達には知らせないだろう。
 万が一の時は美月と姉貴…まとめて調教してやるだけさ。フフッ、姉貴に今までの仕返しをするってのも悪くないな」
 嗜虐の笑みを浮かべる彼の姿に、私は安堵を隠せなかった。
 彼は気づいているのだろうか?
 佐伯美月の涙を見た時の彼は、私のご主人様じゃなかった。
 それはとても懐かしい人。
 私が恋をした、ルームメイトの橘慎吾君だった。
 どこかで狂ってしまった歯車。
 彼女ならその歯車を正す事が出来るかもしれない。
 昔の優しくてあたたかい慎吾君に戻せるかもしれない。
 私は心のどこかで、それを望んでいる。
 けれどそれは今の関係が壊れてしまう事も意味する。
 そうなった時、彼は間違いなく彼女を選ぶだろう。
 それは…それだけは、絶対に嫌。
 彼はまだ彼女への想いを捨てきれていない。
 彼も彼女も気づいていない、ほのかな恋…。
 私は彼の奴隷のままでいたい。彼に愛され続けたい。たとえそれが、異常な愛だとしても。
「ご主人様…。私、あなたのためなら…どんな事でもしますから」
 私の囁きに、彼は眉を寄せる。
「当たり前だろ。お前は俺のものなんだからな」
 そう、これでいい。
 私は彼のもの。
 彼に、ライムちゃんと一緒にいっぱい可愛がられて…。
 今度はちゃんとご主人様の許可をもらってから、生意気な澪も可愛がってやって…。
 そんな甘い日々を送るんだ。
 懐かしい彼の笑顔は、追憶の中だけでいい。
 追憶の中だけで…。






FIN




例えどんなルートを進んだとしても、慎吾君の初恋の相手は美月だと思っています。
ただその事に慎吾君と美月にその自覚は無いから、他の人を真剣に愛する事も出来る。
けれど慎吾君が美月以外の誰かを選んでしまった後でも、
美月は特別な存在であり続けると思います。
SUMI様