ひぐらしの見る夢
カナカナカナ。
カナカナカナ。
ひぐらしが鳴く。
日暮れの中でひぐらしが鳴く。
西の空は紅く燃え、東の空は蒼く沈む。
時計がの針が十二時を刺すよりも、強く強く一日の終わりを感じさせる。
幸せな夢の終わりを感じさせる。
幸せな夢の――。



   ひぐらしの見る夢



いつからだったかはハッキリと覚えている。彼女を失って最初の夏、最初にセミの鳴き声を聞いた日。
その日から彼はセミが苦手だ。セミの鳴き声が嫌いだ。
子供の頃から知っていたセミの存在が今は、彼の心を凍てつかせる。
七年という年月が、まず気に障る。
なぜ七年なのだ。六年でも八年でもなく、なぜ七年という時間を土の中で過ごす。
七。彼女の名前にあった一文字。
そして土の中で長い年月を過ごしながら、外界で生きられる時がわずか一週間という短さである事。
残酷な比率。
幸せな夢はあまりにも短く、そのための代償と釣り合っていると思えない。
七年間の眠りと七日間の夢。
十数年の幽閉と一ヶ月の夢。
重なってしまう、その儚さが。
何よりも愛しい思い出が、己の原動力となる思い出が、同時に深い傷跡でもある。

ひぐらしの鳴き声のうるささは、早くここから出て行けと文句を言っているようで、
大学の敷地内にある図書館の居心地から人影がひとつ出てきた。
カナカナカナ。
カナカナカナ。
もう日が暮れている。昼の長い夏の夕暮れ、夕食を摂るには遅い時間。
どうするかを歩きながら思案する。
家の冷蔵庫をあさるか、コンビニで弁当を買うか、適当な料理屋に寄るか。
カナカナカナ。
カナカナカナ。
気が散って考えがまとまらない。
苛立ちから早まった歩調を止めたのは、足元にあった小さな死。
彼は外見だけでセミの種類を判別できるほど詳しくなかったが、
ひぐらしの鳴き声から、地面に転がるセミの死骸もひぐらしのものではと想像した。
ひぐらし。カナカナカナと鳴く。
他にどんなセミがいただろう?
アブラゼミ。ジジジジジと鳴く。
ミンミンゼミ。ミーンミーンと鳴く。
ツクツクボウシ。ツクツクホーシツクツクホーシと鳴く。
他には――他にもセミの名前は知っているだろうが、今この場では思い出せなかった。
だからという訳ではないが、セミの死骸が苛立ちを高まらせる。
セミの死骸。
七年間の眠りと七日間の夢、直後の死。
十数年の幽閉と一ヶ月の夢、直後の――。
踏みつけようと思った。
どうせもう死んでいる、虫けらの死骸だ。
踏み潰したところで肉体が崩れるだけで、命は消えない。もう消えているから。
靴裏が汚れるだろうが、歩いていれば自然と落ちる汚れだ。
虫けらの死骸。セミの死骸。
踏み潰そうと思った。
足を上げ、踏み下ろす。

カナカナカナ。
カナカナカナ。

靴の横に、セミの死骸。
しばし立ち止まり、靴の横でセミを蹴飛ばし芝生に放る。
そう経たない内に蟻が巣にでも運ぶだろう。結局、セミの死骸は他の何かの餌食となる。
彼はまた歩き出した。もう道にセミの死骸は無かった。代わりに木の横を通ると一際大きくひぐらしが鳴いた。

七年間の眠りと七日間の夢。
十数年の幽閉と一ヶ月の夢。
重なってしまう、その儚さが。
けれど。
何よりも哀しい思い出が、己の心を引き裂く思い出が、同時に傷を癒す優しいぬくもりでもある。

カナカナカナ。
カナカナカナ。

ひぐらしは夢を見る。短い夢を。
自由で、美しく、尊い、幸せな夢を。

幸せな夢は彼の思い出。
彼の思い出は哀しい傷。
けれど幸せのある場所を指し示す、彼の希望という名の夢。



   〜終〜



私はひぐらしよりミンミンゼミが好き。
ミンミンゼミの見る夢。ミーンミンミンミン、ミーンミンミンミン。
鳴き声が明るいから使えません。
SUMI様