紫苑
朝食の乗ったトレイを持って、あたしは窓際の席に陣取った。
最初に湯気を立てるみそ汁を飲み、身体を芯からあっためる。
「あ〜、生き返るなぁ…」
あたしが細やかな幸福に浸っていると、席を探す須藤さんの姿が目に止まった。
そういえば最近、須藤さんとも話をしてないなぁ。
若菜と仲が良かったのに、見送りにも来なかったし…。
須藤さんがあたしの席の方へやって来たので、あたしは声をかける事にした。
「須藤さーん、よかったら一緒に食べない?」
あたしに気づいてなかったのか、声をかけられた須藤さんはビクリと肩を震わせ、
トレイの上にみそ汁を少しだけこぼしてしまった。
そしておどおどと周囲に視線を向けながら、あたしの向かい側に座る。
「おはよー。こうして一緒に朝ご飯食べるのって、久し振りね」
「そ、そうね…」
怯えた子供のような声で返事をする須藤さん。
何か様子が変だけど、どうしたんだろう?
「ねえ須藤さん、体調でも悪いの?」
「えっ? そ、そんな事ないわ…」
「けど、なんだか元気無いみたいだし…」
「本当に何でもないから、気にしないで」
「でも」
「ほら。早くご飯を食べないと冷めちゃうわ」
う〜ん、なんだか会話を避けられているような…。
それにさっきから何か、妙におどおどしてるし…。
まるで何かを恐がっているような…。
あたしは茶碗を持って、への字にした口を隠しながらみそ汁を飲んだ。
そして須藤さんがまだ周囲を気にしているようなので、あたしも何気なく視線を横に向ける。
金髪碧眼の美少女と目が合う。直後、彼女は顔をそむけてご飯を食べ始めた。
あの人は確か、ライム・リーガンっていう大阪育ちのアメリカ人だったはず。
目が合ったのは偶然かな?
あたしはたいして気にせず、茶碗を下ろした。須藤さんは丁度ご飯を箸でつまんで、口に運んでいる最中だった。
須藤さんがご飯を口にした瞬間、箸を持っていた手の服の袖が、重力に従い少しだけずり下がる。
紫の痣。
「須藤さん、手首に…なんか変な跡があるけど…?」
指摘した途端、須藤さんは慌てて服の袖を引っ張り痣を隠した。
「こ、これは…その」
「なんか縄で縛られた跡みたいな…」
「ば、馬鹿ねっ。そんな事、あるはずないでしょう? これは、その、ドアに挟んだだけよ」
「いや、挟んだにしては…」
「本当に何でもないわ。だから、気にしないでちょうだい…」
「はぁ…」
あまりにも必死な須藤さんの姿に、あたしは不審に思いながらもそれ以上の詮索をする気を無くしてしまった。
それにしても、どうしてそんな必死に隠すんだろう?
まさか彼氏とSMプレイをしたとか…。
って、真面目な須藤さんがそんな事する訳ないに決まってるでしょうがっ! と自己ツッコミ。
だいたい男女交際は禁止されてるんだから、須藤さんの場合、彼氏だって絶対作らないだろうなぁ…。
なんて馬鹿な事を考えてたんだろうと思いながら、あたしは再び、何気なく視線を横に向けた。
リーガンさんがこちらに向けていた視線を、すぐにそらす。
…また偶然かな? それとも、あたし達を見ていた?
口元に笑みを浮かべるリーガンさんを見て、あたしは何故か、背筋が冷たくなった。
その日、あたしはまったく授業に身が入らなかった。
若菜が転校してしまった寂しさがまだ抜けないっていうのもまだあるんだろう。
授業中、若菜との思い出が何度も脳裏に浮かんだ。
恥ずかしがり屋の若菜。
恐がり屋さんの若菜。
優しい若菜。
あたしの夢を応援してくれた若菜。
あいつに恋をしていた若菜。
あたしの心の大部分を、若菜が埋めていたんだなぁ…と、改めて実感させられる。
そしてそれと同じくらいあたしの心を埋めるもの。
それはあたしの夢。若菜が応援してくれた、新聞記者になるという夢。
そして…幼馴染みのあいつ。
最近ちっとも新聞部に顔出さない…。まあ、どうせサボってるだけなんだろうけど。
窓から覗く空を眺めながら、授業に上の空のあたし。
おかげで先生に叱られた。