紫苑
獣のようにむさぼり合うようなキスが終わり、2人の唇が離れる。唾液が糸を引きながら。
女の人はだらしなく舌を出したまま、頬を紅潮させて相手の瞳を見つめていた。
「あぁ…もっと、もっとしてぇ…」
「キスだけでこんなに乱れて…、いやらしい奴だな」
「言わないで…そんな事」
聞き慣れた声。
見慣れた顔。
目の前で繰り広げられるその行為は、まさに恋人のソレだった。
あさましく相手のキスを求めるのは、あたしと若菜の友達の…須藤さん。
そして冷笑を浮かべながら須藤さんの腰を抱く男は、あたしの幼馴染み。
「嘘…。なん…で、あの2人が…」
信じられない光景。
再び交わされる、濃厚な口づけ。
絡み合う赤い舌。恍惚の笑みを浮かべ、快楽をむさぼる須藤さん。
そこに理知的で凛としたかつての面影は、微塵も無かった。
腰に回されていた慎吾の腕が、ゆっくりと下がり、スカートの中へと入り込む。
「ふぁ…あ、んんっ…」
須藤さんの腰が、まるであいつの指を求めるかのように動いた。
そして残ったもう片方の腕は、須藤さんの豊かな胸の膨らみを揉みしだく。
力強く握られ、服の上から解るほど彼女の胸は歪められていた。
スカートの中の手が小さく動く。直後、須藤さんの身体がビクンと跳ねる。
「そ、そこは違っ…。いやっ…ああんっ!」
「口では嫌がっても身体は正直だな…。なあ、澪。次はどうして欲しい?」
「お願いします…。あなたのが、欲しい…」
「ナニが欲しいんだ? ハッキリ言えよ、澪っ!」
「あ、あなたの…あなたの…………を、私の…」
あたしは思わず耳を塞ぐ。
かすれるような小声で呟いた須藤さんの言葉が、いったい何だったのかあたしには聞こえなかった。
けれど知りたいとも思わない。
あたしはその場にうずくまり、ガタガタと震えた。
知らなかった。まさか、あいつと須藤さんがつき合っていただなんて。
知らなかった。あの2人が、隠れてあんな行為を繰り返していただなんて。
心臓の音が耳に響く。あの2人にも聞こえてしまうんじゃないかと恐怖にかられる。
呼吸が上手く出来ない。小刻みに息を吸い、吐く。
須藤さんの嬌声が、塞いだ耳の隙間から入り込んでくる。
これ以上、ここにいたくない。
あたしは2人に見つからないよう、這いつくばったままその場を離れた。
手と膝が土で汚れる。
そして2人から見えない位置に着くと、ゆっくりと立ち上がった。
その途端、私は軽い立ち眩みに襲われる。
目をぎゅっと閉じて頭を横に振ると、少しだけ気が楽になった。
そして閉じた目から、頬へと伝う涙。
自分が泣いている理由が解らず、あたしは困惑した。
こんな姿、他人に見られたくない…。
服の袖でゴシゴシとぬぐって、あたしはのそのそと歩き出した。
中庭に出て、何気なく空を見上げる。どこまでも広がる、鮮やかな青。
「あんた、こんな所で何しとるん?」
突然声をかけられ、あたしは視線を下ろした。
リーガンさんと、あいつのルームメイトの神崎君が、購買で買ったらしいパンを持って立っていた。
いぶかしげにあたしを見つめながら。
「な、何でもないって。ちょっと、通りかかっただけ」
「そうなん?」
「ねえライムちゃん。そんな子放っておいて、早く行こうよ」
多少苛立った口調で、リーガンさんを急かす神崎君。
鷹宰祭で会った時と、何だか雰囲気が違う…。
「…そやな。うちらも急いでない訳やないし…。ところであんた、確か…佐伯美月さんやったっけ?」
「え、ええ…」
あたしの全身を舐めるように見つめるリーガンさん。
何故か、その視線から逃げ出したい衝動に駆られた。
「ふーん、あんたがねぇ…。まぁええわ。NANA、行こか」
「うん」
あたしへの興味を失ったのか、2人はあたしを追い越して歩き出す。
恋人が情欲をむさぼり合っている、あの場所の方へ。
あの行為を他の人に見られたら、あの2人にとってマズイ事になる。
呼び止めようと口を開いたけど、声は出ず唇が震えるだけ。
結局あたしは2人に声をかけず、校舎に向かって走り出してしまった。
鬼が出るか蛇が出るか…。
2人の淫靡な行為を見るまでは、そんな呑気な事を考えていた。
鬼や蛇が出てきた方が、まだよかった…。