紫苑
誰も声を発しず、物音ひとつしない静寂の中、あたしはゆっくりと瞼を上げる。
そこにはあたしを見下ろす、無愛想な『幼馴染み』の姿があった。
「…ご主人様、どうなさったんですか?」
沈黙を破ったのは、あたしを拘束する神崎君だった。
冷徹な支配者は神崎君をジロリと睨む。
「黙ってろ」
「…はい」
どこまでも従順な男装の美少女。
その声には力が無く、不安そうに顔を伏した。
そして再び沈黙が流れる。
あたしの純潔を奪おうとしていた陵辱者の双眸は、その間ずっとあたしの顔を見つめていた。
感情の色をまったく見せない表情。そこに、かつての面影はない。
時が経つにつれ、あたしの中に宿る情欲の炎はしだいに静まり出した。
甘い淫毒に侵された脳が冷静さを取り戻していく。
そして自分が従属を選択しかけていた事が、今さらながら恐ろしくなった。
「…美月」
ふいにかけられた声に、子宮がわずかに疼く。
「な、何よ…」
それを気づかれたくて強気に返事をしようと思ったのに、口から出たのは怯えをあらわに震えていた。
「もし…お前が俺達の事を誰にも言わないと約束するなら…。学園にも、家族にも、絶対に言わないと約束するなら…」
一呼吸分の間をおいて、彼は言う。
「今回だけは、見逃してやってもいい」
一瞬、言葉の意味を理解するのに戸惑ってしまった。
見逃す? 本気で言ってるのだろうか?
先程までの行動を思い返してみれば、とても信用出来ない言葉。
けれど…。
「わ…解った。約束…する…」
「そうか」
短い返事の後、彼はゆっくりと立ち上がった。
「NANA、手を離してやれ」
「で、でも…」
「NANA」
「…解り、ました」
神崎君は腕を解放すると、恐怖に彩られた表情で…あたしを見下ろした。
まさに顔面蒼白。あたしと目が合うと、慌てて視線をそらす。
…どうして、そんなにもあたしを恐がっているの?
あたしには解らなかった。
「NANA、ライム。行くぞ…」
「あっ、はい…」
部室から立ち去るご主人様の後を、捨てられまいと必死な仔犬のように追う神崎君。
一方リーガンさんはあたしのすぐ側まで歩み寄ると、唇の端をニヤリと釣り上げた。
「助かって良かったやないの。あ、もしかして残念だった〜とか思うてる?」
「そんな訳…ないでしょ…」
「ふーん…。ま、ええけどね。うちとしては、あんたが奴隷にならんで好都合や。
あんた、えらいご主人様に気に入られとったからな…。澪や弥よ…っとと、澪達と違う扱いになったやろうからな。
うちとNANAな、ご主人様のお気に入りなんよ。そやから、ご主人様に抱かれる回数も他の奴隷に比べて多い。
そこにあんたが入ると、うちやNANAみたいに特別に可愛がられて…、結局うちとNANAの抱かれる回数も減ってまう。
という訳やから、あんたはもうご主人様に近づかんといて。次は間違いなく奴隷にされてまうよ。それに…」
「それに…、何よ?」
「…それに、NANA。NANAが、嫌がるからな…。あんたやったら…と、思うてまうんよ、NANAは…」
「だから…何がよっ?」
「…ま、あんたから関わってこん限りご主人様も手ぇ出すつもりはないやろうから…。あんたはあんたで元気にやりぃ」
リーガンさんはそれ以上あたしと話す事なんて無いとでもいうように、背中を向けて歩き出した。
「ご主人様ぁ〜、NA〜NAぁ。うちを置いてかんといてぇ〜」
足音が遠ざかり、ガラリとドアを閉じる音の後、何も聞こえなくなった。
そのままあたしは床に寝そべったまま、服の着衣の乱れも直さず、ただぼんやりと天井を見つめていた。
胸と秘部を剥き出しにしたまま…。
もし、誰か来たら…どうなるんだろう?
あたしが襲われたって事で、大騒ぎになっちゃうのかな?
それとも見つけた人が、陵辱の続きをする?
どちらにしても都合が悪い。
けれど、誰も来ないだろうという確信があった。
あいつが言った。誰も来ない、と。
天井の蛍光灯は点いていないため、部屋を照らすのは窓から射し込む夕陽の光だけ。
赤く染められた部室が、しだいに宵闇へと包まれていく。
気がつくと、すでに日は沈みきっていた。
「寮の門限、過ぎちゃったかな…」
あたしはのそのそと起き上がり、すでに乾き切っていたパンツをはき直した。
「…気持ち悪」
パリパリに乾いた、快楽の残滓。
帰ったら、真っ先にシャワーを浴びよう…。
そんな事を考えながら、あたしは乱れた着衣を直した。
シャツのボタンがはじけ飛んでいるため、ブレザーのチャックをしっかりと閉じて誤魔化す。
さあ、これで身なりは整った。早く寮へ帰ろう。
そう思っているのに、足は床に貼りついてしまったかのように動かない。
ふいに目頭が熱くなり、頬を冷たいものが伝う。
「くっ…うっ、うぅっ……。どう、して…こんな…」
膝から力が抜け、ガクリと崩れ落ちてしまう。
床にへたり込むと同時に、胸の奥で抑えていたものが爆発した。