紫苑
「うっ…ああぁ…。うわぁぁぁぁぁぁっ!!」
あふれる涙は、次々としずくを作って床に落ちる。
肺の空気をすべて吐き出してしまいそうなほど、あたしは大声で叫んだ。
絶望の慟哭は誰の耳に届く事なく、虚しく校舎に響き渡る。
額を床に叩きつけ、ゴツリという音と共に痛烈な衝撃が頭を揺さぶった。
「嫌ぁっ! こんなの、こんなの悪夢に決まってるっ! こんなっ…こんなのってないよぉっ…!!」
否定したかった。認めたくなかった。何かの間違いだと思いたかった。
けど、これは現実。
あたしの幼馴染みはもう、あたしの知っている幼馴染みじゃない。
「嘘…。こんなの、嘘に…決まっ…決まって…。だって…あいつは、あいつは…」
どんなに認めたくなくても、あたしの身体が現実だと知っている。
あいつの手のあたたかさ。
あいつの指の責め。
あいつの唇の味。
あたしの身体が感じた、とろけるような快感。
至福のひととき。悪夢の時間。
覚えてる。今でもはっきりと思い出せる。身体に刻み込まれてる。
「慎吾…」
ぶっきらぼうだけど優しくて、一緒にだけで不思議と心を落ち着かせてくれる幼馴染み。
今はもう決して微笑まない幼馴染みの名を呼ぶ。
「慎吾…慎吾ぉ…」
今になって、やっと気づく。
あたしは…あいつの事が好きだった。
好き…だった。
今まで過ごしてきたいくつもの思い出が、浮かんでは消えていく。
あたしに泣かされた慎吾。
遊園地で迷子になった慎吾。
一緒に遊んだ慎吾。
一緒に勉強した慎吾。
些細な口喧嘩をした慎吾。
仲直りをして照れ臭そうに笑った慎吾。
もう2度と笑って思い出せない。そんな気がした。
そして今朝見た夢と、その夢のあった日の出来事を思い出す。
中学の時、美術の授業であたし達は写生大会にいった。
その時に見た、花壇一面の紫の花と、その花言葉。
花の名は紫苑。
花言葉は追憶。
あの時はステキな花言葉だなと思った。
今はその言葉が胸に刺さり、ズキズキと痛い。
楽しかった思い出、恥ずかしかった思い出、心が和むような思い出、幸せだった頃の思い出。
それらを思い出しても、今はもう違う感情しか感じない。
あたしはこれから、悲しい追憶の日々を送るのだろう。
そして紫苑と花言葉の思い出が過ぎ去り、新たな思い出が浮かぶ。
とても幸せだった思い出に対し、流れるのは悲しみの涙。
どんなに泣き続けても涙は決して枯れる事は無く、慟哭は続く。
東の空が白む頃、あたしは部室を後にした。