秘密のParty Party FINAL






 水に顔をつける事は出来る。
 浮き輪を掴みながらバタ足で泳ぐ事は出来る。
 けれど水に顔をつけながら泳ぐのは、とても難しかった。
 私も七瀬も水に顔をつけた状態だと慌ててしまって、上手くバタ足を出来ないでいた。
「う〜ん。それじゃ、水に顔をつけずに泳いでみるか?」
 という彼のアドバイスに従い、私達はクロールをやめて平泳ぎの練習をする。
 最初は無我夢中に手足を動かしていたけれど、彼のお手本を見て少しずつ改良していく。
 ゆっくりと、けれど力強く、手のひらでしっかりと水を掻く。
 泳ぐ方向は前ではなく、沈まないよう斜め上に向かって泳ぐ。
 それでもやっぱり沈みそうになったけれど、顔が水に浸かる前に慎吾君がお腹を支えてくれた。
 何度か繰り返しているうちに、しだいに沈まないようになってくる。
 コツを掴めば後は簡単。疲れて手足が動かなくなるまで、ずっと泳いでいられる。
 平泳ぎの要領で、身体を垂直にした状態で手足を動かす、立ち泳ぎも出来るようになった。
 立ち泳ぎは足のつかない深さの場所でやらなくちゃいけないから、溺れそうでちょっぴり恐かった。
 そんな時、やっぱり彼のアドバイスが勇気を与えてくれる。
「沈みそうになったら、普通の平泳ぎをして足が届く所まで行けばいいだろ」
 言われてみればその通り。
 こうして私は泳げるようになった。
 私は…ね。

「七瀬、もっと強く。水を蹴る感じで」
「はっ、はい!」
「そんな急がなくてもいいから。バタ足の時にやっただろ? 手足を速く動かせばいいってもんじゃないって」
「ごめんなさい、つい…」
 もう私は1人でも大丈夫だろうと判断した彼は、七瀬につきっきりになってしまった。
 文字通り手取り足取り教えられる七瀬。
 私は泳ぐ練習を忘れて、ぼんやりと2人の姿を眺めていた。
 数分もすると、つきっきりで教えられた成果か、ほんの少しだけ上達してきたみたい。
 けれどまだ1人で数メートル泳ぐのがやっと。途中から沈みだして、すぐ地面に足をつけてしまう。
「ううっ…ボクって才能無いのかなぁ?」
「そんな事ないって。一日で…いや、数時間でここまで上達したんだからたいしたもんだよ」
「あっ、ありがとう。でも、せっかく慎吾さんに教えてもらってるんだから…早く泳げるようになりたいなぁ」
「………………よし、ちょっと教え方を変えてみよう」
「え?」
 教え方を変えるって、どんな教え方をするんだろうと、私は疑問に思うと同時に羨ましく思った。
 だって、慎吾君は私にも七瀬にも同じ教え方をしていたんですもの。
 私が体験していない方法で、七瀬に水泳を教える。それってとっても羨ましい。
 どんな教え方をするのかと注意深く見つめていると、彼は私の方を振り向いて、言った。
「NANAぁ、ちょっと来てくれ」
「…え? 私?」
 どうして私を呼ぶのか解らなかったけど、彼の呼びかけに従い2人の側に行く。
 七瀬は気まずそうな表情で私を見ていたけれど、きっと私も同じ表情をしていたんだと思う。
「NAーNA。俺の代わりに、七瀬に泳ぎを教えてやってくれ」
 そして私も七瀬も、同時に表情を変えて叫ぶ。
「ええっ!?」
 ものすごくビックリしてしまい、2人揃って眼も口も大開き。
「どっ、どっ…どうして私が、七瀬に教えっ…。だって私は、まだ泳げるようになったばかりで、人に教えれるほどはっ…!?」
「そう、その通り。NANAは泳げるようになったばかり」
「だったらどうして、私がっ…その、七瀬に…」
「ついさっきまで泳げなかったんだから、七瀬の苦労がよーく解ってるだろ?
 そしてついさっき泳げるようになったNANAなら、感覚的にどうすれば泳げるようになるか教えやすいんじゃないか?」
「そんな事、言われても…」
 七瀬の顔をチラリと見ると、とても不安げな表情で私を見つめ返してくる。、
 きっと私も同じ表情。
 …そういえばさっきからずっと、そんな感じ。
 同じ顔、同じ表情で彼の話を聞いて、同時に驚いて、驚いた顔もそっくりで。
 一瞬、姉弟という単語が脳裏に浮かんだ。
 姉弟だから、私達はこんなにも…。
「いーからいーから。NANAにとっても泳ぎのおさらいをする事になるんだし、悪い話じゃないだろ?」
「でっ、でも。でもね?」
「はい決定。それじゃ俺は温子さんの所で休憩してくるよ。さっきからずっと教えっぱなしだったからな」
 そう言って話を打ち切り、彼は海から上がって温子伯母さんのいるビニールシートへと向かう。
 思えば私と七瀬のどちらかが疲れているのに気づくと、彼はすぐに休ませた。
 そしてまだ元気な方と、マンツーマンで練習をする。2人同時に教えるよりも、じっくり教えられるからだ。
 体力が無いのか、七瀬は私より多く休憩をしていた。
 だから慎吾君と2人きりで練習した時間は、何だかんだ言って私の方が多い。
 でも2人一緒の時は、私より上達の遅い七瀬についていたりして、結局一緒にいる時間は私の方が少なかった。
 そして慎吾君は休憩もなく、私達に泳ぎを教えてくれていたんだ。

 改めて慎吾君の優しさを知る。
 かといって、彼の願いに応えて七瀬に泳ぎを教えるだなんて…そんな勇気無いよ。
 途方に暮れる私達に向かって、ビニールシートの上から慎吾君と温子伯母さんは手を振った。
「七海、七瀬。がんばって」
 私も七瀬も、砂浜から見守る2人に手を振り返し、無理矢理笑顔を作る。
 う〜ん…。これからどうしよぉ…?
 慎吾君に言われた通り、七瀬に泳ぎを教えるべきなんだろうけど。
 どうやって教えればいいんだろう?
 どうやって話しかければいいんだろう?
 不安で不安でたまらないのに、慎吾君は温子伯母さんとのん気にお喋りをしてる。
 出来る事ならこの場から逃げ出したいけれど、そういう訳にはいかないし…。
 いつまでも逃げていちゃ駄目よね? 勇気を出して、七瀬に話しかけよう。
 よし。さん、にぃ、いちで声をかけよう。
 七瀬は私の弟なのだから。
 このままじゃあ何も変わらないから。
 そうだ。思い切って七瀬に言おう。一緒に練習しようって。
 大丈夫。きっと大丈夫。きっと…上手くいく。だから…大丈夫!
 さあ、勇気出して…カウント開始!

 さん!
 にぃ!
 いち!
 GO!

「ななっ…せ。一緒に練習しよう」
 慌てていたために噛んでしまった舌の痛みに堪えながら、私は精一杯の笑顔を作って七瀬に手を差し伸べた。
 七瀬は、私の言葉が信じられないとでもいうように眼をパチクリさせて、私の顔と手を交互に見つめている。
 やっと、2人の表情が異なる。
「えっ? あっ…えっと。その、ボク…」
 顔をトマトみたいに真っ赤にしながら、七瀬はうつむいてしまう。
 何か言おうと唇を動かしてはいるが、声が出てこない。
 七瀬が何て答えるか不安で、私の胸は張り裂けてしまいそう。
 ホラ、こんなにも早く心臓が脈打ってる。
 長い、もしくは短い、永遠にも感じられた沈黙に耐え切れず、私は何か言わなくちゃと思い唇を震わせた。
 何も考えずに口に出そうと思った言葉は何だったのか? その答えは永久に解らなくなってしまう。
 何故なら。
「おっ…お願いします…!」
 小さな、けれど波の音に負けないハッキリした声で、七瀬がそう答えてくれたから。
 差し出された私の手を、七瀬が握ってくれたから。
 七瀬の手は海水に浸かっていたため、ひんやりと冷たかった。慎吾君の時と同じ。
 けれど…慎吾君の手は、冷たくなっても私の心をあたたかくしてくれた。
 そして七瀬の手もやっぱり冷たかったけれど、どうしてだろう? とても、とても不思議な感触。
 知らないはずなのに、とても懐かしい感触。

 ううん。知ってる。覚えてないけれど、私の身体は知っているんだ。
 ずっと、ずーっと昔。
 決して思い出せない、まだ幼いという言葉すらふさわしくない頃、それはあった出来事だと、私は思う。
 生まれる前。もしくは、生まれた直後。
 私達が引き離される前に、私達は、手を、つないだかもしれない。
 何かが込み上げてくる。
 慎吾君の時とは違う、どう表現していいか解らない何かが、身体の奥底から。
 …恐い。けれどそれは恐怖とは異なる恐さ。これと似たような恐怖を、以前体験した事がある。
 愛しいあの人との交わりで、今だかつて達した事のない性の高みへ昇っていく時の、強烈すぎる快楽への恐怖。
 あの時の恐怖に、とってもよく似ている。
 懐かしすぎて、私の知らない記憶が噴き出しそうで。このままだと私、どうにかなってしまいそう。

 思わず七瀬から手を離し、誤魔化すように私は勢いよく何かを喋った。
 何て言ったのか自分でも解らないけれど、七瀬が笑ってくれたから、きっと変な事は言ってないと思う。
 それから――私は、七瀬が泳げるようになるよう、一生懸命協力した。
 泳ぐ事について。
 それが、十数年もの間別れていた双子の弟と初めてまともに会話した内容だった。
 だから…気兼ねなく話せた。
 神崎家の事や、言い伝えの事。今までの事、これからの事。
 そういうのじゃなく、ただ、泳ぎ方についてだったから。何の遠慮もなく話せた。

 練習中ふと砂浜を見ると、慎吾君と温子伯母さんがとても嬉しそうに私達を見ていた。
 もしかしたら――。
 どうやら私はまた、あの優しくて大好きな2人にハメられてしまったらしい。






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