桜色の空の下で






 ここ、鷹宰学園には時代遅れな校則があった。
 男女交際禁止。
 それを破った者は即退学。

 ……というのは昔の話。

 今は晴れて男女交際解禁。教室も男女別棟ではなく、一緒に勉強するようになった。
 みんな勉強と恋愛の両方に精を出す日々。
 それもこれも、新しい生徒会長が校長に直接交渉し、生徒達の意思を伝えたから。
 その生徒会長の名は、橘慎吾。
 生徒会に入る前は、新聞部の幽霊部員だった奴。
 学年トップの成績になる前は、週末の外出許可さえ危なかった奴。
 学園中の女子生徒からラブレターをもらっているけど、昔は女っ気なしの生活を送っていた奴。
 そいつは……あたしの幼馴染み。
 慎吾とは生まれる前からの腐れ縁。
 そのつき合いは鷹宰学園卒業を間近に控えた今でもまだ、続いてる。





 ――桜色の空の下で






 窓から爽やかな春風が流れ込み、学園の廊下に新鮮な空気を運ぶ。
 あたしはスッと息を吸い、ゆっくりと吐き出す。
 そして目の前のドアを凝視し、ノックした。
「佐伯美月です」
 と名乗ると、すぐに「どうぞ」と女性の返事。
 生徒会室に入ると、そこには一組の男女。
 元生徒会長の橘慎吾と、元副生徒会長の須藤澪。
「よっ」
 生徒会長の椅子にふんぞりかえって座っている慎吾が、軽く手を挙げて挨拶してくる。
「あんたもう生徒会長じゃないんだから、いつまでも生徒会室を占拠してんじゃないの」
「いーじゃん、現生徒会長の許可はもらってるぜ。それにここ落ち着くんだよ。
 図書室とかじゃ他の生徒から声かけられたりしてさ……。な? 澪ちゃん」
「ええ、そうね。まったくもう……はっきり言って迷惑だわ」
 窓際の席で本に視線を下ろしながら慎吾の言葉に同意する、須藤澪さん。
 氷の美女と呼ばれていた、学園のアイドル。
 人前で決して笑顔を見せない冷めた性格からつけられた呼び名だけど、今ではよく笑う。
 そして男女交際解禁もあって、男子からの人気は爆発的に増えた。
 もっともあたしは須藤さんが冷たい人じゃないって事、もっと前から知っていたんだけどね。
 イギリスへ行ってしまった親友の若菜と、楽しげに話をしていた須藤さん。
 鷹宰祭の時、一緒に慎吾の悪巧みに参加した須藤さん。
 氷の美女だとか学園トップの天才少女とかじゃなく、ごく普通の女の子だった須藤さん。
 あたしは彼女の事、結構好きになっちゃったみたい。
 若菜がいなくなった今、女子棟で一番仲の良い友達……かな?
「で、美月。何か用か?」
 慎吾は、なぜあたしが会いに来たのかまるで解っていないみたい。
 あたしはジロリと幼馴染みを睨んで、きつい口調で言う。
「用もなにも……あんた、せっかく大学受かったってのに、入学を辞退するってどういう事よ?」
「他にやりたい事があるんでね」
「んなあっさり答えなさんなっ!」
 あたしは机をバンッと叩く。
「おじさんもおばさんも千尋さんも、あんっなに大学合格を喜んでいてくれてたのに……」
「ああ。大学行かないって言ったら、昨日電話かかってきた。勘当だってよ」
「それで……ここを卒業してからいったいどうするっていうのよっ!? 住む家も無いのよっ!?」
「いや、もう就職先は決まってるし」
「な、何よそれっ!? 就職……って、あんたいったい何をやる気なのよっ!?」
「探偵」
 開いた口が塞がらないとは、まさにこの事。
 慎吾の言葉を頭の中で反すうして確かめて、反すうして確かめて、反すうして確かめて……やっと理解する。
「……あんた、マジで言ってるの?」
「ああ」
「なんで探偵なのよ……?」
「ひ・み・つ」
「………………」
「………………」
「って、ふざけんじゃな〜〜〜〜いっ!!」
 バンッ、ともう一度机を思い切り叩く。
 怒りをあらわにするあたしの前で、慎吾は涼しげな笑みを浮かべていた。
「別に、ふざけてなんかないぜ。俺は探偵になって、どうしてもやりたい事があるんだ」
「何をやりたいのか知らないけど、それって大学を蹴ってまでやるような事なの!? 一生の問題なのよっ!?」
「ああ、一生の問題だ。だから悩んで、考えて、それで探偵になるって決めたんだ。
 お前が新聞記者になりたいって夢と同じくらい、俺にとっても大切な事なんだ」
「でもっ……!」
 パタン、という音があたしの言葉をさえぎった。
 音の正体は、須藤さんが本を閉じた音。
「佐伯さん。少し落ち着いたらどうかしら?」
「で、でもっ……」
「彼が大学の合格を辞退した事は、教師の間でも問題になっているわ。
 私もさっき彼に色々と訊ねてみたけれど……何も教えてくれないんですもの」
「誰にも知られたくない秘密って、誰にでもあるだろ?」
「うぅ〜っ……」
 冷静な須藤さんと、おどけた調子の慎吾。
 これじゃあ、あたしだけ馬鹿みたいじゃない。
「そういえば生徒会の人にあんたの居場所訊いて生徒会室に来たんだけど……あんた、ここで何してんのよ?」
「ん……いや、特に何も。澪ちゃんと一緒にの〜んびりくつろいでただけ」
「……そう」
 チラリと須藤さんに視線を向けると、背もたれに身体を預けての〜んびりくつろいでいた。
 須藤さん……昔とだいぶ印象変わったなぁ。
 慎吾が生徒会長、須藤さんが副生徒会長になってからかもしれない。
 あれから二人はいつも一緒。
 須藤さんはなんだか肩の力を抜いたようで、ずいぶん可愛い性格になっちゃったし。
 須藤さんを変えたのは、やっぱり慎吾なんだろうな。
 慎吾と須藤さんがつき合っているという話は有名だけど、二人はそんな事実は無いと否定してる。
 また、慎吾が男女交際を認めるよう直訴したのは、須藤さんと交際するためだという噂も。
 あたしは今まで何度も慎吾に須藤さんとの関係を訊いてみたけど、いつも大切な友達だって答える。
 仮に須藤さんとの交際を内緒にしたいのだとしても、生まれる前からの腐れ縁なあたしにまで隠すなんておかしい。
 だから、あたしは慎吾の言葉を信じてる。
「……ああ、退屈だなぁ」
 気の抜けた顔で呟く慎吾を横目で見て、須藤さんは呆れたように口を開いた。
「そんなに退屈だったら、卒業式の答辞でも考えたら?」
「んな事言ったってなぁ……答辞なんてガラじゃねぇし。澪ちゃん、代わってくれよぉ」
「お断りします。卒業生代表として、きちんと答辞を考えなさいっ」
 そういえば、そうだった。
 中学の卒業式では、あたしが卒業生代表の答辞をやったていうのに……。
「中学の卒業式じゃ、美月が卒業生代表の答辞をやったていうのに……」
 あたしが頭の中で考えた事を、そっくりそのまま口にする慎吾。
 思考パターンが微妙に似ているのは、やはり幼馴染みだから?
 などと思っていると、慎吾はニンマリと悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「美ー月。お前の負けだ」
「はぁっ? 何が負けなのよっ?」
「俺達の通ってた普通の中学校の卒業生代表と、この鷹宰学園の卒業生代表。色んな意味で俺が上」
 こっ、こいつぅ〜……。
「調子に乗ってんじゃないわよっ!」
「ハハッ、悪ぃ悪ぃ。でも少しくらい自慢させてくれよ」
 自慢……って、まあ自慢したくなるのも仕方ないか。
 こいつ、言い方は悪いけど今まで誰かから注目されたりする機会のない、普通の生徒だったし。
 それが突然学年トップの生徒会長になっちゃったんだから、自慢の一つや二つしたくはなるか……。
「それに……さ」
「ん?」
「こうやってふざけ合ったりのんびりしたり出来るのって、あと少しだし」
 ……確かに、そうだけど……。
「けどさ、別に卒業したらもう会えないって訳じゃないし……。
 あたしとあんたの場合、会おうと思わなくても偶然会っちゃうかもね」
「生まれる前からの腐れ縁、だもんな」
「この腐れ縁も、いったいいつまで続くのやら……」
「もうすぐ終わるんじゃないかしら?」
 あたしの何気ない一言に、須藤さんが口を挟んできた。
 それは第三者だからこそ気づいた事かもしれない。
 いや、あたし達が気づかないフリをしていただけかもしれない。
 あたし達の腐れ縁は……。
「卒業したら佐伯さんは新聞記者を目指して大学へ進学。橘君は探偵会社に就職でしょう?
 それに彼は勘当されて、実家にも帰れない。会う機会は必然的に減ってしまうでしょうね」
 ……須藤さんの言う通り。
 生まれる前から、ずっと一緒に歩いてきた道。
 これからもずっと一緒だと思っていた。
 同じ道を歩いて行くんだと思っていた。思い込んでいた。



 分かれ道が、ついにあたし達の前にその姿を現したんだ。






進む