桜色の空の下で






 時間の流れって不思議。
 早く流れて欲しい時は遅く。
 遅く流れて欲しい時は早く。
 とても意地悪に流れる時間。
 卒業式までの日々は、あっという間に流れていった。

「この制服を着るのも、今日で最後かぁ……」

 実はこのセリフ、二回目だったりする。
 一回目は中学校の卒業式。
 あの時も名残惜しいなぁ、なーんて考えながら袖を通したっけ。
 タイをキュッと締めると、不思議と気持ちも引き締まる。
 鏡の中のあたしが、じっとあたしを見つめ返す。
 何かを言いたげな瞳で……。
「……さてと。そろそろ行くとしますかっ」
 あたしは荷物の整理された部屋を、グルリと見回した。
 ほとんどの荷物はすでに実家に郵送してあり、残っているのは大きなボストンバッグが一つだけ。
 この部屋は、卒業式を終えて最後に荷物を取りに戻ってきたら、もう二度と入る事はないだろう。
 さよなら、学園生活と若菜との思い出の詰まった部屋。
 お世話になりましたという意を込めて部屋の中央に向かって頭を下げた後、ドアを開く。
「あっ」
 偶然、須藤さんがあたしの部屋の前を通っていた。
「えっ……と、おっはよー」
「……おはよう」
「………………」
「………………」
「あの、よかったら一緒に行かない?」
「悪いけど、約束があるから」
「そ、そう……」
 相変わらず理由も解らぬまま、須藤さんとは険悪なムードが続いている。
 このまま卒業しちゃうなんて嫌だなぁ。
 何とかして仲直りしたいんだけど……。
 だいたい卒業式っていうのはもっとこう、すがすがしくというか……別れを惜しみながらというか……、
 そんな感じでやるのが感慨深いんじゃないっ。
 なのにどうしてこうなっちゃうかな……。
 そういえば、中学校の卒業式でも、ちょっとあったっけ。
 あいつと喧嘩しちゃって、雨の中、あたし泣いちゃって……。
 それでその後、あいつが追って来てくれて……。
 ……………………。
 ………………。
 …………。
 うわっ! うわっ! 何思い出してんのよあたしはっ!
 アレは違うっ! その場のノリというか、流れというかっ……。
 だっ、だいたいあの後、あたし達は結局今までどおりの幼馴染みに戻っちゃったじゃないっ!
 だから、その。アレよ。あの……桜の下で交わした………………キス………………は、何でもないんだってばっ!
 あいつはただの幼馴染みっ! 単なる腐れ縁っ! それだけ……なんだからっ!
 あたしは心の中で叫び、ガクリと肩を落とした。
 こんな事で憂鬱になっててどうすんのよ。早く学校へ行こっと……。
 あたしはガチャンとドアを閉めた。






 あたしはカラリとドアを開いた。
「慎吾ー、いるー?」
 教室の中を見回してみたけど、あいつの姿はどこにも無い。
 そして慎吾と同じクラスの、須藤さんの姿も。
「やあ、佐伯君ではないか」
「あ、伊集院君。川崎君も」
 慎吾の友達の二人は、あたしのいる教室の入口までやって来てくれた。
「橘を探しているのかい?」
「ええ。式が終わった後、どこで落ち合うかまだ決めてなくて」
「そうか。君達は一緒に実家へ帰るのだったな」
「まっ、あいつは帰って荷物整理したらすぐ追い出されるだろうけど……」
「確かに」
 互いに苦笑を浮かべ、同じ人物の心配をする。
 そして苦笑ではなく、笑顔を浮かべる川崎君は愉快そうに口を開く。
「あいつが大学蹴ったのは、学園でも大騒ぎだったからなぁ〜」
「学年トップの生徒会長にあんな行動を取られては仕方あるまい」
「けど成績至上主義のこの学園に一矢報いたみたいで、なんか気持ち良かったけどな」
「男女交際の件といい大学の件といい、あいつは鷹宰に名を残す男になった訳だ」
 慎吾の名が学園に残る……か。
「それって、幼馴染みの立場から言わせてもらうと……なんか気色悪いなぁ」
「友人の立場から見ても気色悪いな。名を残すのが僕ならともかく、あの橘なのだからな」
 うわっ、酷い言われようね。まあ相手はあの慎吾なんだから仕方ないか。
「それにしても、なんでいきなり探偵なんだか……」
 何気なく、本当に何気なく呟いた言葉。
 その答えなんて、まったく期待していなかった。
 けれど――。
「やっぱりそれってよ、探すつもりなんじゃ……」
「太陽っ」
「っとと」
 探す? 川崎君。今、探すって言ったの?
「もしかして、慎吾が探偵になるって決めた理由を知ってるのっ!?」
「しっ、声が大きい」
 口元に人差し指を当て、伊集院君は注意深く教室を見回した。
 幸い、誰もあたし達の会話に気づいていない。
「橘は今、学園一の有名人だ。男女交際の事や探偵の事など、憶測ばかりの噂が飛びかっている」
「ゴメン。下手にあいつの話をすると、色々とややこしくなっちゃうわね」
「ご名答」
 伊集院君と川崎君は廊下に出て、もう一度周囲を確認した。
 何人か生徒の姿は見えるものの、距離が離れているから大丈夫みたい。
「……で、探すって何をよ?」
「いや、えーと……それは」
 川崎君は顔をしかめながら、横目で伊集院君を見る。
「何と言うか……その、え〜と……本当に、何と言うか……何と言うかぁ……」
「だぁかぁらぁ、慎吾は何を探そうとしているのよ? それが、探偵になろうとしてる理由なんでしょ?」
「まあ……その、多分そうなのだが……。僕の口から言ってもいいものか……」
「いいのっ! 言いなさいっ」
「しかしまだそうだと確定した訳ではないし……、僕達の考えも確証のあるものではないし……」
「それでもかまわないから」
「それに、下手したら彼の名誉をいちじるしく傷つけてしまうというか……」
「もうっ! だから、いったい何なのよっ!?」
「え〜と……」
 伊集院君は悩み込み、川崎君は戸惑っている。
 ……慎吾の奴、いったいどんな秘密を隠し持ってるっていうのよっ?
 何かを探す? 何を?
 探偵が探すもの……。探偵になって探せるもの……。
「誰かを探したい、とか?」
 ギクゥッ!
 という音が聞こえてきそうなほど、二人の顔が引きつった。
「さ、佐伯君っ。その……アレだ。こういうのはやはり本人の口から聞いた方が……」
「本人が口を割らないから伊集院君に訊いてるのよっ」
「しっ、しかしだ」
 急に、伊集院君は真面目な顔を作った。
「誰にだって秘密にしておきたい事の一つや二つくらいあるだろう。
 橘が君に言わないのに、友達である僕等が言ってしまっては……彼に対する裏切りになってしまう」
 うっ……、確かにそのとおりかも。
「橘が自分から話す日まで待っていてやれないだろうか? 橘の友人として、君にお願いする」
 伊集院君は背筋を真っ直ぐ伸ばしてから、深く腰を折って頭を下げた。
 川崎君も慌てて頭を下げる。
 こんなの断ったら、あたしが悪者になっちゃうじゃない……。
「……ハァッ、仕方ないか」
「解ってくれたか」
「とりあえずはね。けど探してるものが見つかったとして、それでもあたしに秘密にするようなら……」
 グッと握り拳を作り、二人の眼前にかかげる。
「力づくでも訊き出してやるっ!」
 引きつった二人の作り笑いが、なんとも滑稽だった。
 あいつ……いったいどんな秘密が出来たっていうのよっ?
「そっ、それよりもだ。君は橘を探していたんじゃなかったのか?」
「あ、そうだった。どこにいるか知ってる?」
「橘なら用があるとか言って、校庭の方へ行ったが……」
「校庭?」
「いや、校庭と決まった訳ではないのだが……外に行った事は確かだ」
「あいつ、いったい何やってんのよ?」
 わざわざ外まで探しに行くのも面倒だしなぁ……。
「まあいいや。慎吾は卒業式の後にでも捕まえるから」
「そうか」
「じゃ、わざわざありがとね」
 あたしは二人に軽く手を振って、自分の教室へと向かった。



「なあ光。やっぱり言えねぇよなぁ……」
「ああ……言えないな。というか、言いたくないな……」
「同感。それにしても慎吾の奴、まさか探偵になるとはなぁ……」
「まあ、愛の力は偉大だという事だ」






進む