人魚姫NANA





「最近、NANA姫って元気無いな」
「それに毎日どこかへ出かけているようだし……七瀬王子も心配しておられた」
 人魚のお城の片隅で、タコの太陽とイカの光が声を潜めて相談していました。
 二人はとても友達思いで、今日もNANAと七瀬の心配をしています。
「せめてNANAが落ち込んでる理由が解ればな〜……」
「本人に訊ければ手っ取り早いのだがそれは酷だろうし、七瀬王子なら何か知っているかもしれん」
「んじゃあ七瀬に訊いてみるか?」
「それはそれで今度は七瀬王子を傷つけそうで恐い……リーガン君に何をされるか解らん」
「うちが何をするて?」
 突然です、二人の後ろに人魚のライムが現れました。
「ぎょえっ!?」
「うわぁっ!?」
 ビックリして大きくのけぞった二人を見て、ライムはケラケラと笑います。
 ひとしきり笑った後、ライムは真剣な顔になりました。
「あんたらもやっぱり気になっとったんやな、NANAの事……」
 ライムは二人に語り出しました、自分もNANAが心配で七瀬に理由を訊ねてみたと。
 けれど七瀬は寂しそうな顔をするばかりで、何も教えてくれなかったそうです。
 太陽も光もライムも頭を悩ませましたが、どうする事も出来ません。
 そして今日も、NANAは城を抜け出していずこかへ出かけます。 

 海岸沿いに建つお城のベランダに、今日も王子様は立っています。
 黒い瞳で海を眺めています。
 そんな王子様を、NANAは海から見上げています。
「ああ、私が人間だったらあなたと一緒にお日様の下を歩けるのに」
 NANAの左の瞳から涙がこぼれました。
「ああ、私が人間だったらあなたの瞳に私の姿を映す事が出来るのに」
 NANAの右の瞳から涙がこぼれました。
「ああ、王子様……どうしてあなたは人間なの? どうして私は人魚なの?」
 NANAは今日も慎吾王子への想いを募らせます。
 そんな彼女を寂しげに見つめている弟の存在に気づく余裕など、今のNANAにはありませんでした。
「姉さん……。毎日毎日、あんなに悲しそうにあの人を見上げているだなんて……」
 こっそりNANAの後をつけていた七瀬は、大好きな姉のために何かして上げたくてたまりません。
 でも自分に出来る事など何もありません。
「……ようし、こうなったら……」
 七瀬はある決意を胸に、人魚の国へと戻りました。



 日が沈み、慎吾王子がもうベランダには出てこないだろうと思ったNANAは人魚の国へと帰りました。
「もうこんな時間……みんな心配してるかなぁ」
 NANAがお城に到着すると、ライムが待っていました。
「NA〜NAぁ、おかえり」
「あ……ライムちゃん。……ただいま」
 こんな時間まで出かけていた事を怒っているんじゃないかと、NANAは身をすくめます。
 けれどライムは優しい笑顔でNANAを城へ迎え入れてくれました。
「ずーっと人間のお城見とってお腹空いてるやろ? 夕飯の残り取っておいたからそれ食べたらええ」
 NANAはライムと一緒に自室へ戻り、夕飯の残りを食べました。
 お腹が膨れてホッと一息つくと、部屋に七瀬がやって来ました。
「姉さん、大事な話があるんだ」
 七瀬の真摯な眼差しに、NANAも気を引きしめます。
「……姉さんは、あの人間の王子様が好きなんだよね? あの王子様に会いたいって思ってるんだよね?」
 七瀬の問いに、NANAは力強くうなずきます。
 すると七瀬は寂しそうに微笑みました。
「実は、姉さんがあの王子様に会える方法が……人魚が人間になる方法があるかもしれないんだ」
「ほっ、本当!?」
「海の底に住んでいる魔法使いなら人魚を人間にする事が出来るかもしれない。
 でも魔法使いの所へ行くには大きな渦巻きと恐ろしい洞窟、そして暗い海藻の森を抜けなきゃいけないんだ」
「私、行くわ。どんなに危険で恐ろしい場所でも。それで王子様に会えるのなら!」
 NANAは迷う事無く答えました。
「そう……。危険な場所だから、明日になったら僕とライムちゃん……それに太陽君と光君の四人と一緒に行こう。
 温子伯母さんには内緒だよ? 魔法使いの所へ行くだなんて知られたら、絶対に止められちゃう」
「……ええ、解ったわ」
 NANAは人間になれる喜びに、七瀬は姉の力になれる喜びに笑顔を浮かべます。
 明日の大冒険に備え、NANAはもう休もうと提案しました。
 七瀬もライムも快く承諾し、自室へと戻っていきました。
 けれどNANAはベッドに向かわず、窓からこっそりお城を抜け出してしまいます。
「……ごめんね七瀬」
 本当に魔法使いの所へ行くのが危険なら、大切な弟や友達を連れて行く訳にはいきません。
 NANAは疲れた身体に鞭を打って、一人で魔法使いの洞窟を目指しました。



 大きな渦に巻き込まれないように、海藻が身体に絡みつかないように、NANAは慎重に進みました。
 会いたい、もう一度王子様に会ってお話をしたい。
 ただそれだけの想いのためにNANAは魔法使いの住む洞窟を訪れたのでした。
「ごめんください。魔法使いさん、いらっしゃいますか?」
「何か用か人魚の小娘」
 洞窟の中には緑がかった目をした壮年の男性がいました。
 意地悪そうな顔にNANAは身をすくめます。
「あのっ、私……人間になりたいんです。あなたなら人魚が人間になる方法を知っていると聞いてきました!」
「人間だと?」
「はいっ。私、人間の王子様を愛してしまったんです。彼に会うには人間にならなくちゃいけないんです!」
「いいだろう、お前を人間にしてやる。ただしお前のその綺麗な声をいただくぞ。
 例え王子とやらに会えたとしても、お前は何一つ喋る事は出来ない」
「そんなっ……」
 王子様とお話しする事を夢見ていたNANAにとって、それはあまりにもつらい代償でした。
 けれど、例え話せなくても王子様と一緒にいられるのなら。
「解りました、私の声を差し上げます。だから私を人間にしてください!」
「いいだろう。ではこの薬を飲むがいい、そうすればお前は人間になれる」
 魔法使いが差し出したグラスには赤黒い液体が満たされていました。
 血のような気味の悪い色に怯えながらも、NANAは薬をグイッと飲み干しました。
 するとのどに焼けるような痛みが走り、それがお腹へ、全身へと広がります。
「うっ……ああっ! 苦しい……苦しいよぉ!」
 うめき声を上げるNANAに、魔法使いは残忍な言葉を放ちます。
「それともう一つ。その王子と結ばれなければ、お前は海の泡となって消えてしまうのだアッ!」
「そっ……うあぁっ……ぐっ……!」
 最初から説明されていてもNANAの気持ちは恐らく変わらなかったでしょう。
 けれど焼ける痛みに苦しむ中、取り返しがつかなくなってから言われたせいで、
 酷くショックを受けてしまいました。
 しだいに意識が遠のき、NANAは目の前が真っ暗になってしまいます。






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