人魚姫NANA





 大きな船の上でパーティーが開かれています。
 慎吾王子と澪姫の結婚式のパーティーが。
 NANAももちろんパーティーに参加し、みんなから祝福される澪を羨ましそうに見つめています。
「今日は仏滅だから、結婚式は大安の明日なのよ」
 ここはどこの国でしたっけとツッコミたくなるような説明を美月から聞かされ、
 NANAは明日自分が泡になって死んでしまうだろうと確信しました。
「大丈夫か? NANA」
 元気の無いNANAを王子様も心配するのですが、NANAは訳を話せません。
 誰にも何も言えず、一人で悲しむしかないのです。
 出来るだけNANAと一緒にいてやりたいと王子様は思いましたが、
 婚約者の澪姫や近隣諸国から集まった出席者を放っておく訳にもいきません。
 NANAはあまり慎吾と話を出来ないまま、その日を過ごしたのでした。

 夜になると、NANAは一人で甲板に出て海を眺めていました。
 海の中で暮らしていた頃は毎日が幸せだった。
 さらなる幸せを求めて人間になったのに、どうしてこんなつらい想いをしなければいけないのでしょう?
 知らず知らずのうちにこぼした涙が海面に落ちます。
(ああ……七瀬、みんな、ごめんなさい。私、明日には泡になって消えてしまう……)
 NANAが心の中で謝った瞬間、水面が盛り上がり四人の人影が現れました。
「姉さんっ!」
 何と、現れたのは弟の七瀬と友達のライム、太陽、光です。
 波に揺られながら七瀬達は言いました。
「姉さん、魔法使いから事情は聞いたよ」
「このままじゃ泡になって消えてしまうんやろ!? そんなの絶対に駄目やっ」
「NANA、人魚に戻る方法が見つかったんだ……だから、それをやれば助かるぞ」
「これを受け取りたまえ!」
 光は綺麗なナイフをNANAに向かって放り投げました。
 それをキャッチしたNANAは、鞘を握り締めて不安に表情を染めます。
「姉さんが人間になれたのは魔法使いの薬の力だけじゃなく、人間の王子様への愛の力もあったんだ。
 だからその愛を断てば姉さんは人魚に戻って、また海で暮らせるようになる」
「つまりそのナイフで人間の王子を殺してしまえばいいんや。王子が結婚したら何もかも手遅れやでっ!」
 そんな!
 NANAは悲鳴を上げようとしましたが、魔法使いに声が奪われているので大きく口を開けるだけでした。
 愛する王子様を殺すだなんて、自分に出来るはずがありません。
「頼むよNANA、人魚に戻ってまた海で暮らそうぜ!」
「恩を着せる訳じゃないが、人魚に戻る方法を訊くために僕達は大きな代償を支払ったのだからな」
 言われてNANAは気づきました。
 光の長い髪がバッサリ切られているのです。
 魔法使いはNANAを人魚に戻す方法を教える代償として、七瀬達の長く美しい髪を奪おうとしました。
 ところが髪が長いのは光だけだったので、犠牲者は光だけで済んでしまったのです。何という幸運でしょう。
「お願いだよ姉さん、僕達と一緒に帰ろう……!!」
 七瀬達の懇願にNANAはうなずきます。
 大好きな七瀬達と、また海の中で平和に暮らしたい。
 NANAは心からそう思ってしまったのです。

 ナイフを手にNANAは王子様の寝室を訪れます。
 ノックをせず、音を立てないよう気をつけて戸を開けました。
 すでに日付が変わろうとしているような時刻、きっと王子様も眠っていると思っていました。
 ところが王子様は椅子に座ってぼんやりと天井を眺めていたのです。
 NANAが訪れた事に気づいた王子様は、こっちへおいでと招き入れました。
 背中にナイフを隠したまま、NANAはゆっくりと近づきます。
「どうした、眠れないのか?」
 NANAはうなずきます。
「そっか、俺もだ。明日結婚すると思うと……な……」
 NANAはうつむきます。
「……澪姫には感謝している。俺の命の恩人だし、優しくて美人で、俺にはもったいない相手だ」
 NANAは瞳に涙を浮かべました。
 王子様が海に飛び込んだ原因はNANAなのですが、その王子様を助けたのもまたNANAなのです。
 やるせない気持ちにNANAは震えました。
「……なあ、NANA。俺達……あの浜辺で出会うより前に、会った事ないか?」
「…………」
 NANAはうなずきませんでした。
 あの嵐の中、自分を溺れている人間だと思って助けようとしてくれた王子様。
 荒れ狂う海の中、王子様が溺れないよう抱きしめ続けていた自分。
 何もかも説明出来たら、二人の運命も変わっていたのでしょうか?
「……NANA、眠れなくてもベッドに入っとけよ。式の最中に居眠りしちゃったら恥ずかしいぞ」
 居眠りなんて出来ない。なぜなら二人が結婚すれば、自分は泡になって消えてしまうのだから。
 NANAは鞘からナイフを引き抜いて振りかぶりました。
 王子様は驚きのあまり固まっています。
 このままナイフを振り下ろせば王子様は死に、自分は人魚に戻ってまた幸せな日々に戻れる。
「NANA……!?」
 ふいに、NANAの脳裏に王子様と過ごした幸せな日々が蘇りました。
 王子様はとても優しくて、素性の知れない自分に優しくしてくれた。
(やっぱり私は……この人が好きっ!)
 NANAはナイフを落とすと、ポロポロと涙を流しながら寝室を飛び出しました。
「な……NANA!?」
 訳が解らない王子様はしばし呆然としていましたが、慌ててNANAの後を追いかけます。
「待ってくれよNANA! いったいどうしたんだ? 何があったんだよ! NANA!!」
 口の利けない彼女が返事をしてくれるはずもないと知りつつも、王子様は呼びかけ続けました。
 せめて立ち止まってくれたら。
 ですが愛する王子様を殺そうと考えてしまった自分自身を責め立てるNANAは、
 ひたすら甲板を目指して走り続けます。

 甲板に出たNANAは舳先へと駆けると、柵に手をかけました。
(あの人の目の前で泡になってしまうなんて、絶対にイヤッ)
 海に飛び込もうとしたNANAを、王子様は慌てて抱き止めます。
「馬鹿ッ、NANA! 何してんだ!」
 NANAは涙で顔をクシャクシャにしたまま王子様の腕の中で暴れました。
(お願い、海に飛び込ませて!)
「頼むNANAっ……何であんな事しようとしたのか教えてくれよ。どんなに時間がかかってもいいから……!」
(時間は明日までしかないの! あなたを殺そうと考えてしまった自分を許せないの!)
「NANAっ、落ち着いてくれ! そんなに暴れられたら……うわっ!」
 バランスを崩した王子様は、NANAもろとも海の中へ落ちてしまいました。
 王子様はぐっと息を止め、がむしゃらに海上に出ようと足を動かしますが、
 服を着たままなので上手く泳げません。
 NANAは慌てて王子様を海上へ連れて行こうとしましたが、
 海水をいっぱい飲み込んだ苦しみでパニックに陥ってしまいました。
 人間になったNANAは、もはや人魚のように自在に泳ぐ事も海中で呼吸をする事も出来ないのです。
 NANAの意識はしだいに遠のいていきました。
(NANA……死ぬな、NANA……!)
 ひたすらにNANAの無事を祈る王子様ですが、やはり彼もまた意識を失いつつあります。
 すると王子様の脳裏に今までの思い出が蘇ってきました。

 お城で一緒に楽しく暮らしていたNANA。
 喋れないから一生懸命身振り手振りで何かを伝えようとしていたNANA。
 浜辺に倒れていたNANA。
 海の中でずっと自分を抱きしめていてくれたNANA……海の中で?

 ようやく王子様は思い出しました。
 船が沈んだ時、溺れていた女の子。
 助けに行こうとしたのに逆に溺れてしまった自分を助けてくれた女の子。
(ああ、NANAだったんだ……アレはNANAだったんだ……)
 同時に王子様は気づきました。
 心優しい澪姫を好いてはいるが、愛しているのはこのNANAだったのだと。
(ゴメン、NANA……)
 そして王子様もついに意識を失ってしまいます。
 それでも王子様はNANAを手放しませんでした。

 王子様とNANAは海底深くに沈んでいきます……。
 そんな二人に、四つの影が近づいてきました。





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